原点回帰?
SKEは原点回帰すべきか? ってことが話題になっています。
黒髪信奉者としては、「むろん、そうすべき!」と答えたいところですが、正直なところ、ぼくは半分賛成って感じですね。たしかに、変わるべきではないものというのがあって、それを大切にすることは賛成です。「全力!」みたいなね。
その一方で、結成当初とはもういろんな点が違ってしまっているのですよ。それは否応なくね。平均年齢だってかなり違うでしょ? なら、いっそ若返りを図るべきか。ぼくはそれには賛成できません。それは現実的じゃない。失ってしまうものが多すぎます。
たしかに、チーム8のように、若い子だけでやることでなんか生まれるものってのはあります。 だから、7D2で独自のチームを立ち上げてしまえば良い…と思っていた時期がぼくにもありますが、それももう時すでに遅し(8期はまだよく分からんですし)
じゃあ、どうすべきか。
変わってしまったというそのこと自体を主題に取り込んでしまえば良いのです。『チキンLINE』とか『金の愛、銀の愛』がなぜ心に響かないかと言えば、それはSKEの物語と共鳴していないからです。ただ単に、年齢が高くなったからちょっと大人っぽい歌詞を歌っているだけのように見えます。
ぼくが「金銀」に求めたかったのは、手を伸ばしても届かないあの雲の切なさとか、漂っていくシャボン玉の移ろい易さとか、風に揺れる木の葉の不確実さとか…指をチクリと刺すとげの痛みとか…なんだろうな…そういうアイドルという存在そのものがもつ儚さ。なんであんな意味不明な歌詞にしたんだろ。
たとえば、「体育会系」なら「体育会系」という今までのSKEの主題は変えずに、見る角度を変えるんです。同じものを見ていても、それを見る見方は、時と共に自然と変わるでしょう? 要はそういうことですよ。主題は変えずに、変わってしまったその視点を取り込むんです。
一方で、今でも若い子たちはいるわけです(それは常にいます)から、その子たちはかつてのような視点で見られるわけで。つまり、グループ内で視点が二重化されるということになります。
イメージとしては『けいおん』です。一方では、唯たちの現在進行形の視点があって、またその一方では、かつての自身の姿に重ね合わせて見守るさわちゃん先生の視点がある。同じものを見ていても、見ている角度が違うんですな。
この2つの視点があることで、『けいおん』の世界にはそこはかとない切なさが感じられます。そのことによって、唯たちの今しかないという時間のかけがえなさが強調されます。
むろん、『けいおん』の主人公は唯たちなので、さわちゃん先生は一歩引いた立ち位置になるわけですが、これは別に逆(さわちゃん側メイン)の物語であっても構わないわけですし、実際、世の中にはそういう物語は山ほどあります。
SKEにおける原点回帰も、そのようになされるべきだと思います。「体育会系」という看板を再び掲げるのは正しい。それに対するアプローチは、それぞれのメンバーごとに異なって構わないと思いますし、そもそもそうならざるを得ないでしょう。
それでも、同じものを見ているということが大事なのではないでしょうか。それぞれ、自分なりの「体育会系」を体現する。それは、みんなそれぞれバラバラな方向を見てバラバラに動くよりはよっぽど良いでしょう。