「上坂すみれって最高じゃないっすか?」
声優上坂すみれさんのライブをいくつか見た(今なら月額400円のdアニメでライブ2本見られまっせ旦那! グヘヘヘヘ…←)
いや、曲は前から知っていたし(「下セカ」の主題歌とか凄い好きだったし←)、彼女が演じたキャラクターも見て/聞いてきたけれど、ライブがこんな魅力的な人だと分かってなかったな…。もしかして、上坂すみれって最高じゃないっすか? と。
摑みどころのない、でも何だか惹きこまれてしまうMC。ゆらゆらと喋っていると思ったら、いつのまにだか台本に入って、そのまま歌の世界に遷移してしまう。さっきまでとはまるで別人のような声と顔。一曲ごとに作り込んでくる世界観。眩いばかりの圧倒的な個性。「ああ、なんか…す〜ごいな〜…」って。正直、ノックアウトされてしまった。
たとえば、48で「個性」というと、グループの中で他にないポジションを見いだすという、一種の椅子取りゲームのような印象がある。〇〇キャラみたいなね。それは、意識的な「棲み分け」の問題。
でも、彼女の場合は、そういうレベルを超越している。『超中野大陸の逆襲』での彼女は、黒髪ツインテで、制服で? 昨今の48だったら「没個性」とか言われそうな出で立ちなのだけれど、でも、その話し方から歌声から仕草から、個性が…なんかもう滲み出てしまっている。 「圧倒的な個性」って言葉がふさわしいと思うけれども。
それはたとえて言えば、同じ椅子に座っている人がいても、すべて蹴散らしてしまうような、そういう暴力的な個性で。もちろん、「ミリヲタ」とか「ロシアヲタ」とかは、一種の属性としても捉えられるんだけれど、それも「好き」とか「キャラ」であることを越えて、なんかもう彼女の世界として成立させちゃっている?(↓) あそこまで行ったら、同じ領域に他の人が来たとしてもたぶん問題ない。
一転して、『病み・病みヤングパラダイス』では、現代(と言うか0年代)のアイドルと80年代アイドルがないまぜになったようなアイドル像を演じてみせる(↓)。そのことによって、一面では、素の状態の上坂すみれの「非アイドル性」が強調されるわけだけれど、でもそうした振る舞いこそが、じつはとてもアイドル的な振る舞いとして僕の目には映る。その振り幅こそが、僕が見てきたアイドルそのものだから。「かわいい」と言われて怒るところとか、なんか(反応は違えど)しゃわこみたい…。
(逆説的に言えば、あえて誇張された「アイドル像」を演じて見せることで、それ以外のところでの彼女自身や彼女のステージが潜在的に持っているアイドル性を隠ぺいするという仕掛けになっている。じつは全体がアイドルっぽいステージなのだけれど、その一部で意図的に誇張された「アイドル像」を演じて見せることで、他のところがそういう風には見られずに済む。そこは何か多層構造になっている)
これは前から思っていることだけれど、小倉唯のように、直接に引き受けるにせよ、あるいは上坂すみれのように一種のパロディとして言及するにせよ、いま一般的にイメージされる「正統なアイドル像」を引き受けているのは、じつは声優なんだって思う(乱立するライブアイドルグループは、自分たちの色を出すために、むしろ色物っぽい方向に進んでいる)
上坂すみれは、そうした諸々のものを、しっかりと自分で引き受けている。きちんと分かった上で、自分の責任で呑み込んでいる。なんか…これはちょっと参っちゃったな…。ずっと探していた人が、「あ…ここにいたんだ…」って感じで(-_-;)