BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント(4.0) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
 
BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント(2016)
THE BFG
 
監督:スティーヴン・スピルバーグ
 
概要
 巨匠スティーヴン・スピルバーグがロアルド・ダールの児童文学「オ・ヤサシ巨人BFG」を映画化した、孤独な少女と心優しい巨人の友情を描くファンタジーアドベンチャー。ロンドンの児童養護施設で暮らす少女が巨人の国に連れていかれ、巨人と心の距離を縮めていくさまを映す。『E.T.』などで知られるメリッサ・マシスンが脚本に名を連ね、巨人を『ブリッジ・オブ・スパイ』で第88回アカデミー賞助演男優賞に輝いたマーク・ライランスが、少女を新鋭ルビー・バーンヒルが演じる。スピルバーグが手掛けるファンタジー作品に期待。(シネマトゥデイより)
 
感想
 れっきとしたスピルバーグ監督作品…なのに、どうも地味な印象。ガランとした劇場。お客さんもほとんど入っていない。
 
 (『君の名は』の特大ヒットで霞んだ印象があるけれど)『シン・ゴジラ』のヒットというのは、「邦画の復権」ということの他に、特定の国の特定の層にだけグサッと刺さるローカライズされたものの強さを物語っていた。
 
 ああいうものの後では、誰に対してもそれなりに突き刺さるユニバーサル/グローバルなものの弱さというのが際立ってしまう。
 
1.
 なにより主人公の少女にいまひとつ魅力が感じられない。20才くらいになったらキレ味の鋭い素敵な女優さんになりそうだけれど、逆に言えば子役特有の「あの可愛さ」みたいなものに欠けている。大体、宮崎駿と言ったら少女というように、スピルバーグと言ったら少年でしょう?
 
 映像的には、パッと見のルックは「ピーターパン」だか「ハリポタ」だかって感じ。良く見ればじつは現代(80年代)の話だってことが分かるのだけれど、一見19世紀のようにさえ見えて(イギリスという国自体がそんな感じなんだけれど)、やや年代不詳になっている。
 
 現実の日常性と対比することによって、ファンタジー世界の非日常性は浮かび上がってくる。『ナルニア』なんて明らかにそうだし、現代のアニメやラノベによく見られるようなゲームからファンタジー世界に入ってしまうという設定もその延長線上にある。そこへ行くと、この映画の現実世界自体が、ともすれば半ばファンタジー世界みたいに見えるから、その活き活きとした対比が失われてしまう。
 
 ところどころにひどく80年代チックな画が混ざっていることも、この映画を年代不詳のものにしている。なんだか中身がグチャグチャとした「お化けキュウリ」のシーンに代表されるように、『グレムリン』だとか『ネバー・エンディング・ストーリー』にもあったような、あの80年代的な乱雑な汚さの印象がこの映画にもある。その辺の「古さ」もまた、この映画の地味さの一因かも知れない。
 
 演出に関しても、切れ味が鋭いというよりは、やや間延びした印象。原作ものだからそれをやるのは仕方がないことなのかも知れないけれど、会話のやり取りが続くシーンでは「ああ…なんか退屈だな…」と感じてしまう。御大ジョン・ウィリアムズの音楽さえ、やや冗長な印象だ。
 
2.
 とは言え…この映画、全体で見るとそんなに悪くない←いったん下げておいてから上げるっていう、いつものレビューパターン
 
 じつのところ、ファジー(曖昧さ)の部分こそがこの作品のもっとも見るべきところかも知れない。現実世界から巨人世界へと向かう途中、夜の田園をBFGが駆け抜けるシーンは、とても印象的だ。この映画では、日常から非日常へ、あるいは非日常から日常へと移動する途中の場面が、どれも美しい。そこはやっぱり、『E.T.』でああいう(月+自転車という)絵を描いてみせたスピルバーグだけのことはある。
 
 この映画、大きいものを大きく、小さいものを小さく見せる…というよりは、そうした大小がじつは比較の問題に過ぎないのだということを示してみせる。木のような巨人も、さらに大きな巨人の前では小人のように見えるし、巨人の前では豆粒みたいな人間も、猫と比べればまるで巨人だ。
 
 「ゴジラ」は大きいもの=非日常の存在と、小さいもの=日常の存在の対比が面白かったけれど、大きいのと小さいのと、あと真ん中くらいのとあるのも良いよね。主人公のソフィが、シルバニア・ファミリーみたいなミニチュアのハウスを眺めるシーンで、「あ…僕はこの映画好きだな…」と思えた。
 
 
 後半の「宮殿」のシーンも素直に笑える。娯楽大作ではないし、もちろん歴史的傑作でもないけれど、これはこれで、ありかなって。
 
☆☆☆☆(4.0)