「アイドル」と「アーティスト」
とある子がインタビューに、「かわいらしいアイドルではなく、クールなアーティストになりたいんです」と答えたそうです。個人としては何の問題もない発言でしょうが、答えた当の本人が他ならぬアイドルであったため、プチ炎上しています。
なんですかね…だったら、なりゃあ良いじゃんっていう。
1.
語源からすると、Art(ars)は「技術」ですから、アーティストってのは、基本的には技術をもって「作る人」です。作るという行為は、一人でも成立します。たとえ世界に一人きりになったとしても、彼/彼女がアーティストである、ということはあり得るでしょう。
それに対して、アイドルってのは、常に誰かのアイドルであり、一人では成立しません。その意味で、アイドルってのは、いわば「作られる人」です。
端的に言って、「アイドル」と「アーティスト」は別物です。アーティストとして成功したからといって、アイドルになれるわけじゃありませんし、その逆もまた然りです(「アーティストとは歌手一般のこと」だとする意見も目にしますが、本人が「アイドルではなく」と言っちゃっている以上、そんな考えは通りません)
もちろん、アイドルでありつつアーティストでもある、ということはあり得るでしょう。そうなりたければ、今すぐ何かを作れば良いのです。曲であれ、詞であれ、振り付けであれ…歌であれ、演奏であれね。実演家であっても、そのパフォーマンス自体が一つの世界を「作って」いれば、アーティストと呼ばれ得るでしょう。そうした技術のないアーティストなんてのは、基本的にあり得ません。
同じインタビューで、彼女は、「東京オリンピックの応援ソングを歌いたい」とも答えています。こうした発言が反感を買うのは、こうしたことをある程度リアリティを持って言えるのは、自らがアイドルとして築いてきた立ち位置によるものだ、ということを彼女が忘れているように見えるからでしょう。
アーティストとして東京オリンピックの応援ソングを歌いたいのなら、まず自らが何らかの技術をもって何かを作り、それでそれなりに周りを納得させてからでないと説得力がありません。まずは列の一番後ろに並んでください。すべてはそこからです。
2.
なんだか、虚しいな…って。
たとえば、あるアニメ声優が、「ホントはアニメなんてやりたくなくて、実写映画に出たかったんだ」とか言ったとしたら、ファンは悲しむでしょう。「僕らが喜んで見てきたものは、いったい何だったの」と。
たとえ自身の出ていたある原作アニメが実写化されたとして、そして、たとえそこに自らが選ばれたとしても、前者を否定して後者を称揚するなんてことは、基本的には*あり得ないと思うのです。それはなにより自らの職業に対する誇りの問題です。
(*いや、まあ実際に似たような発言をして失敗した人はいますが…)
少し話は外れますが、原作を無視して、「俺流」で実写化(あるいはアニメ化)した結果、ダメになったコンテンツなんて山ほどあります。たまには当たりもあるでしょうが、確率的にはほとんど問題になりません。「だから、もうそういうのは止めよう」というのが、最近の映像文化の潮流です。原作に対する愛がなきゃダメなんです。
もちろん、愛だけでもダメで。原作をただトレースしたって、映画やTVドラマにはなりません。ゆえに、自らの方法論をもっている人だけが、成功を手にすることができます。今年公開された『ちはやふる』や『アイアムアヒーロー』などは、原作に対する愛や敬意を持ちつつ、ちゃんと自らの方法論をもって成功した例です。
原作物ではありませんが、いま話題の『シン・ゴジラ』も同じです。あれは、初代ゴジラに対する敬意、特撮に対する…そして、自らの作ったエヴァに対する愛…に満ち溢れた映画です。でも、それだけじゃなく、ちゃんと庵野さんの方法論によって構築されています。要は、両方なきゃダメだってことです。
3.
そこへ行くと、アイドルはどうですか…。ロクに方法論も持たず、自らの職業に誇りも持てないものに、はたして未来はあるのでしょうか。この問題は、単にこの発言をした当人の資質の問題に留まらず、アイドル業界全体が抱える矛盾を表しているように思います。
漫画やアニメ、特撮、映画。あるいは音楽だってそうでしょう。それらを見て、聴いて育ってきた世代が、それらを作る時代になって久しいです。彼らはそれらを誰よりも見て(聴いて)いますし、作り手自身がいわば一番のヲタなんです。
そこには、伝統や歴史、文化や文脈など、積み重なっていくものがあります。それらを忠実に守っていくか、それとも乗り越えていくか、いずれにせよ、それらと向き合うことで作品が作られていきます。歴史を知らなきゃ話にならんのです。
でも、アイドルはそうじゃありません。アイドルのことなんて知らなくたって、アイドルになる気なんてなくたって、アイドルにはなれてしまう。それで成立してしまうんです。そこにこそ、アイドルの抱える根源的な矛盾があります。
アイドルが参加しているゲームは、常にフレッシュなものが勝っていくゲームです。彼女たちは、数年という短いスパンで代替わりしていきます。このゲームの支配的な原理は「リセット」であり、当然、積み重なっていくものもない…か、あるいは大して重要視されていません。
一方、その外側にいる僕らヲタは代替わりしないので、そこには積み重なっていくものがあります。したがって、僕らヲタは文脈に従って考えます。しかしながら、その文脈は、たいていの場合、アイドル自身には共有されていないのです。妙な話ですが。
今回の件も同じです。僕らヲタからすると、こうした発言はもう呆れるほど、何度も繰り返し(様々なアイドルの口から)聞いてきたものです。「またかよ」と。こういう発言をしたアイドルが、これまでどれだけいて、それでどれだけ反感を買ってきたか。でも、それを彼女は知らんわけですよ。
なんだかね。
僕はアイドルという文化を愛しているし、それを守りたいとも思っています。でも、当のアイドル自身は、たいていの場合、別のところを見ている。僕らは同じところに居ながら、別々のところを見ています。同床異夢なんです。
最近、そういうところに堪らなくつまらなさを覚えます。なんだか虚しい世界だな…と。この世界には愛が足りない…と、僕は思います。