「シン・ゴジラ徒然3(様々な読み2)」
「シン・ゴジラ」には様々な読みがあるって話のつづきです。
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ゆうきさんや押井さんと一緒に『パトレイバー』を作ったメンバー(ヘッドギア)のひとりである伊藤和典さんは、その後、押井さんの大学時代の後輩である金子修介監督と一緒に、「平成ガメラ」シリーズを作ります。そして、ここに特技監督として参加していたのが「シン・ゴジラ」の監督である樋口さんです(お…つながったぞ)
「平成ガメラ」が今回の「シン・ゴジラ」に似ているとされる理由は、そうした特撮面もさることながら(そりゃあ同じ人がやっているんで似ていて当たり前です)設定面でしょう。
『ガンダム』へのアンチテーゼとして作られた『パトレイバー』は、完全に虚構世界である「ガンダム」とは異なり、現実現代の日本に「レイバー」というひとつの異物を挿入して作られています。「平成ガメラ」はその構図をほぼそのまま転用して、現実現代の日本に「怪獣」が出現したらどうなるか、というのをシミュレートしています。その点が「シン・ゴジラ」と似ているんですよね。
もうひとつ。今回の「シン・ゴジラ」は、初代『ゴジラ』以来、はじめてゴジラの存在を前提していない世界(2作目以降はすべて初代を前提としている)になっている…と説明されます。これ、僕は一瞬「あれ?」と思ったんです。でも、たしかにそうなんですよね。
僕が感じた違和感の正体。それこそが「平成ガメラ」です。「平成ガメラ」も、ガメラの存在を前提していない世界から始まります。怪獣なんて誰も信じていないところから始まるんですよね。その意味でも、「シン・ゴジラ」は「平成ガメラ」に似ていると言えるでしょう。
また、『踊る大捜査線』に似ているという評も見かけました。たしかに、大量のコピー機をダダ―っと運び込む辺りのシーンは『踊る』っぽいんですよね。ただ、そのレベルを越えて似ているとすれば、それはむしろ、『踊る』の方が『パトレイバー』や『エヴァ』に似ているんです。本広監督自身が「『踊る大捜査線』では、『機動警察パトレイバー』や、『新世紀エヴァンゲリオン』のテイストが 随所に出ています」と言っているくらいですから。
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それから、あの「夜」のシーン。非常に破壊的かつ美しいシーンですが、例の『風の谷のナウシカ』で、庵野さんが担当した巨神兵のシーン(薙ぎ払え!)を連想した方も多かったようです。短編映画『巨神兵東京に現わる』を連想した方もいるでしょう。僕自身は、前に書いたように、エヴァ初号機の覚醒シーンを連想しました。
これらは、庵野さん(&樋口さん)が作ったシーンなので、ある意味では連想して当たり前なんですよね。
じつは、僕が連想したシーンがもうひとつあって。それは「平成ガメラ」の金子監督が撮った『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』、夜の横浜みなとみらいで、ゴジラがランドマークタワーや護衛艦などを「薙ぎ払う」シーンです。
ゴジラ映画には大きく分けて二つのパターンがありますが、「シン・ゴジラ」と金子版ゴジラ、そして初代ゴジラの共通点は、(人類の味方ではなく)破壊者としてのゴジラが描かれているということです。
まあ、完全に振り切った「シン・ゴジラ」に比べると、このシーンひとつ見ても物足りないところは確かです。設定も中二病か…クライマックスシーンもどうなの…みたいなところもあって、欠点はあります(ゴジラ好きは、キングギドラの扱いに納得いかないでしょうし)
でも、この金子版「ゴジラ」、僕は好きです。良い画が多いんですよね。新山さんが自転車にカメラ括りつけて走るところ(その映像)とかね。とても詩的なシーンだと思うのですよ。
今回、ゴジラシリーズだと、初代や1984年版が(「シン・ゴジラ」に似ているということもあって)よく名前が挙がっていたのですが、たまには金子版「ゴジラ」も思い出しておくれ…と。
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他には、たとえば作家の村上龍さんに引き付けた読みとか…まあそれはどうだろうと思いましたが、ただ、そういう様々な読みを許容するところが、この「シン・ゴジラ」最大の特徴ないでしょうか。
実際、作りそのものとしても、色んな要素を引き込んでいますし、それをうまくひとつの作品に融かし込んで作っています。謎もひとつの解決を与えないで、謎のまま残す。そうすることで、あとは見た人が勝手に「ああじゃないか、いやこうじゃないか」と読み込んでくれる。作品がひとりで走り出すんです。まさにエヴァですけど。
だから、「政治的」な部分に関しても、決して一方向の読みやすいメッセージにはなっていないだろうと思うのです。たとえば、デモのシーン。よく聞き取れないのですが、実際に参加した人によれば「ゴジラを護れ」と「ゴジラを殺せ」の両方の声を上げていたと。
まあ…あれは、主張自体がどうこうより、現代的な「景色」として描かれているだけという気もしますけどね。
ともあれ。そういう風に、最終的なところで、どちらか一方に転ばないように作られています。この映画、「日本はまだやれる」とシンプルに読めるという人と、「いや、現実の日本はダメダメじゃんという皮肉になっている」と読めるという人と、二つのタイプの言説を見かけますが、どちらか一方には収斂しないんじゃないかな…と。
庵野さんって、矛盾に満ちた人だと思うんですよね…って話は、シン・ゴジラの「心」って話と一緒に次回しようと思います。