HKTの「アインシュタインよりディアナ・アグロン」が女性蔑視の歌詞だと批判されているようですが。自分が気に入らないからといって、もともとHKTに興味なんてないくせにイチャモンをつける。まあ、また例によって、ああした人たちが言いそうなことだなと。
しかし、歌詞というものはひとつの表現であり、「アインシュタインよりディアナ・アグロン」というのは、(出来は別として)そうして表現されたひとつの価値観です。犯罪を示唆しているわけでもあるまいに、ある価値観を表現することのどこに、批判すべきところがあるでしょう。それは日本国民に認められた権利です。
昔も今も、多かれ少なかれ、反体制的であり反社会的ですらある歌なんていくらでもあったのです。バイクを盗んで学校の窓を破るとかマジでけしからんわ! (笑)
しかし、そうした幅こそが、民主主義が健全に機能している証拠です。みんながみんな同じ価値観の歌を歌っていたら、それこそ気持ち悪いでしょう。自分たちの気に入るように歌詞を書き換えるなんて、まるで思想統制下の国家ではないですか。彼らは、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という金言を忘れてしまったのでしょうか。
彼らは彼らで、自分たちの価値観に従った歌を作れば良いだけです。まあ、記事にのっていた「アインシュタインにもなりたいし ディアナ・アグロンにもなりたいし もっともっと輝きたい」なんてのは、なにも言ってないに等しいので、それ自体としてもクソつまらん! とぼくは思いますがね←
追記:
これら二つの「言説」の水準がまったく異なるということは理解しておいた方がいいでしょう。
まず、「アインシュタインよりディアナ・アグロン」というのは、この歌詞における作品世界の人物が「こう思う」と言っていることであり、それはその作品世界の人物による個人の生き方ないし個人哲学の表明です。小説内での登場人物が「私はこう生きるんだ!」と言っていることと本質的な違いはありません。
それに対して、「女性蔑視の歌詞だ」というのは、そのようにラベル付けをすることであり、同時にまた、そのようにして「こうした言説は(作品世界にさえ)存在してはいけないのだ」という烙印を押していることになります。