『ちはやふる』徒然(色彩の世界) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 『ちはやふる』徒然(色彩の世界)

 すべてが滑らかなこと。この映画は、「そこ少し変じゃない?」とか悪い意味で引っかかる部分がない。演技もそう。発話がすごく自然で。普通だったら、若手の演技には引っかかる場合も多いのに、この映画にはそれがない(『幕が上がる』でも威力を発揮していたけれど、平田オリザさんのワークショップの効果がやはり大きいんだと思う)

 演出の流れもスムーズだし、音楽も耳心地がよくて、とにかくすべてが滑らかに流れていく。そして、このことによって、ひとつの効果が生まれている。それは、現代日本を描いているこの映画が、ほんの少しだけ非現実に足を踏み入れるということ。現実というのは、もっと引っ掛かりがあって、もっとまとまりがなくて、もっとずっとカオスで。

 この「ほんの少しだけ非現実」という問題はまた、色彩にも表れている。ハイキーで撮られていて、その上、わずかに彩度が上げられている。どこにでもある風景だけれど、どこにもない光景。3DCGゴリゴリの映画が、ファンタジー世界への扉をムリヤリ押し開けるのに対し(僕はそれも好きだけど)この映画は、現実の階梯を半歩だけ上がる。

 半歩だけ非現実に足を踏み入れた世界。そこでは色がまだ、存在との結びつきを保っている。他の赤が印象的な作品、たとえばウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』、あるいは張芸謀の『紅いコーリャン』では、色は抽象的なものとして提示される。色彩がそれ自体として前面に押し出してくる。

 それに対して、この映画の色彩は、日常のものと切り離せない。木々の緑、ジャージの赤、Tシャツの黄色…スカイブルー。そうして、彩度を上げられた(半分非現実の)それらは、この世界に色があるということを再発見させる。

 芸術写真とは白黒写真のことを指した時代に、エグルストンが「この世界は色彩の世界だ」ということを思い出させたように。この映画は「この世界に、この世界のありふれたものに色がある」ということを、僕に思い出させる。街はモノクロームではないのだと。

 だって、「ジャージが赤い」って、「Tシャツが黄色い」って、それ自体で凄いことなんだよ。この世界に光があって、物があって、それらに色があって、そうして、それを僕らが感じられるってことがね。