前回のあらすじ
連載中の漫画をアニメ化した場合、進行スピードの違いによって、アニメの方が原作に追いついてしまう。なので、アニメは様々な形で遅延策を講じることになる。そのため、かつては間延びしたアニメが数多く見られた(『ドラゴンボール』なんかはその典型)
近年では、円盤中心主義の影響もあってか、コンテンツの質を落とさないために、半年や一年くらい休養期間を挟んでから、また次のシーズンを放送するといった形態も目に付く(『ハイキュー』など)
一方、同じジャンプ・アニメの中でも、『銀魂』はそうした問題を回避できているように見える…というのが今回の話。
まあ、引っ張った割には話は単純で。第一に、『銀魂』はストーリー漫画ではなく、基本的には一話完結なので(たまに何話かにまたがる話が混じる)、引き伸ばし感が薄いということが挙げられる(たとえ間延びさせても、一話の中で起承転結をつけられるから)。
第二に(これが言いたかったことなのだけれど)自ら言及してしまうということ。『銀魂』は(ある程度)現実に開いていて、登場人物が「また総集編か」みたいなことを言ってしまう。
これが割りと大事で。いまや、多くの視聴者はアニメ制作の事情なんかも理解して見ている。だから、たとえば遅延策で間延びすると、制作の事情が透けて見えて白けてしまう。でも、作り手自らが言ってしまうことで、それは「笑い」に転化される。
文化がある程度爛熟期に入ると、見ている方も様々な文脈を分かって見るようになるから、なにかそういう「仕掛け」が必要になってくる。単純に物語の力だけで勝負するということが難しくなってくるんだ。そうして、メタレベル(ひとつ上のレベル)で遊ぼうとする作品が出てくる。
ただ、最近思うのは、またシンプルな物語の力が必要とされる時代になってきたのかなと。特に洋画はそうで。マッドマックスしかり、ゼロ・グラヴィティしかり。シンプルな物語で鑑賞者に体験させる形式の映画が注目を集めている。
メタレベルで遊ぶ作品は、キャラクター/登場人物がいわば作品の外に立って、そこで鑑賞者と遊ぶわけだけれど、体験型の映画の場合、逆に鑑賞者を映画の中に取り込まないといけないから、物語の力が必要なのかな…と( ..)φ