『ニーチェ先生』を見ました。
1.
『アオイホノオ』などの福田監督だったので期待していたのですが・・・なんだかいまいち。コンビニという閉鎖空間で繰り広げられる・・・シットコムというよりはむしろ・・・ちとシュールな会話劇とでも言ったら良いのかな、そんな感じなんですが。う~む・・・肝心のその会話がいまいち頭に入ってこない。セリフで聞かせる芝居であろうのに、そのセリフが頭に入ってこないというのは致命的です。
脇を固めているのは福田作品でおなじみの面々ですが、やはり重要なのは主演。『アオイホノオ』や『俺はまだ本気出してないだけ』がああいう作品になったのは、やっぱり柳楽くんや堤さんの力(とくに声の力)が大きかったと思うんです。その点、この作品におけるニーチェ先生役の彼は・・・う~ん、どうなんだろう。セリフがストンとこちらに入ってこないんですよね。
(そもそも、このドラマが想定している視聴者層は、『アオイホノオ』などとは違うような印象があります。テレ東と日テレの違いもありますしね)
で、原作マンガを読んでみたんです。特徴的なのは、話が大体1ページごとに区切られていること。たいていの場合、ニーチェ先生などの何らかの言動に対し、原作者でもあり登場人物でもある松駒の(ツッコミというよりは)感想が入ってページが終わる形になっています。そこに余韻が生じます。その余韻が積み上がっていくことで、段々とおかしさがこみ上げてきます。
一方、TVドラマ版は、会話でどんどん展開していく感じなので、その余韻が生じないんですよね。媒体の特性上仕方のない部分でもあるかも知れませんが、それによって作品の胆となるべき部分が損なわれているのも確かだと思います。区切りがなく余韻が生じないので、見ている方の意識も流れていってしまう。この作品においてどこを見るべきなのか、という焦点が定まらない。演出的にも演技的にも、もう少しやりようはあったと思います。
(調べてみたところ、この作品は別キャストでドラマCDにもなっているようです。もしかしたら、そちらの方が、この作品には相応しい媒体なのかもしれません)
2.
さて、肝心の玲奈ですが・・・ふむ・・・( ..)φ
う~ん、なんだろうな・・・こう、「演技するぞ~!」って感じが、ぞわぞわぞわ~っ! と、出てきてしまっているんですよね。演技が好きなのも、野心家なのも分かりますし、努力しているであろうことも分かるんですが、そういうものがすべて、力みとなって出てしまっている。演技が好き過ぎるのかな(^_^;)
そのせいか、体の前半分だけの演技になってしまっている気がするんです。なんと言ったら良いかな・・・それこそ「前のめり」な演技というか。
こういう比較はどうかとも思うんですが、たとえば『アオイホノオ』の山本美月ちゃんは、もう全身からああいうキャラクターだってことが伝わってきます。それに対して、玲奈の演技は前のめり過ぎて、全身にキャラクターが浸透し切っていないというかな・・・体の前半分の空間だけしかドラマ空間になっていない感じがするんです。
(これは、演技というものは常に役柄と演者の中間にあるものだ、という話とはまた別の話です。前者が、役柄と演者の間の距離の話・・・つまり役作りの話だとすれば、後者のこちらは、その演技を実際にする際の身体の使い方/発話の仕方の話だとでも言えば良いのかな・・・あるいは体に纏う雰囲気の問題とでも言ったら良いか)
全力でぶち当たるのは玲奈の良いところだと思いますし、やり切ることが大事だとも思います。経験不足ということもあって、ああいう方法論しか持っていないということも分かるのです。ただ、うん・・・どうなのかなって( ..)φ