実写版『あの花』雑感2(カメラ) | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


  実写版『あの花』を見てもっとも感じたのは、カメラの違い。時間があればちゃんとしたショット分析をすべきなのだけれど、全体的にカメラが近過ぎだったように思う。顔ばかり映していたような印象がある。

  これも、実写の悪癖かも知れない。カメラって寄れるんだよね。そして、人間の表情ってのは豊かだから、表情で演技をすることが出来るわけだし、逆に言うと、そればかりに頼ってしまうようになる。

  アニメのカメラも同じように寄れるわけだけれど、ひとつ違うのは、アニメには表情の演技ってものが基本的に存在しないということ。もちろん、ある程度は描き分けられるのだけれど、そんなに描き込めるわけじゃないから、どうしたって記号的な表現にならざるを得ない。

  だからこそ、アニメでは作画による動きの演技(演劇的な演技)や、声優による声の演技が発達してきた。あるいは、風景や特殊効果によってキャラクターの心理を描写することも良く行われる。そこには、媒体の特質による表現法の違いが見て取れるだろう。

  そして、カメラというのも、そこに加わる。超広角レンズで寄って撮れば(画面が歪むから)どことなく不安な感じが出るし、望遠でキャラクターをアップで撮って背景をボカせば、そのキャラクターの内面に意識が集中するような効果を生む。俯瞰で撮れば説明的になるし、ローアングルで撮れば圧迫感がある。

  これはもちろん、元来、映画の文法であって、実写でも色々と考えて撮っている人は居る。でも、『あの花』実写版は、ただただ表情と言葉に頼った単調な画作りに終始していた。レンズの選択から構図・レイアウトから何から何まで、ちゃんと考えて撮っているようには見えなかった。

  そして、それは作品のリズムの欠如にも通じていた。オリジナルの『あの花』では、音楽もさることながら、絵によるリズムと言うかな…カメラワークがリズムを作っていた。遠景の次に中景が来てとか、斜め後ろの俯瞰から真横とか、そういうリズムね。

  ボクが『あの花』から感じる躍動感は、そうしたところから(も)来ている。この実写版はそうしたリズムを意識しているとは思えなかったし、もし意識してたとしたらセンスが無さ過ぎる。

  これはまたショットの間というところにも現れていた。明らかにそのショットもっていないだろう…っていう。たとえば花火のシーン。ヒュ~っと打ち上げて、それから…めんまの家族を延々と10秒も映し続ける。だって、花火なんだよ? そんなもん、もう散っちゃってるよ。

  もちろん、出崎演出をはじめとして、ある瞬間をグッと引き伸ばすという手法はアニメでも行われる。でも、これはそういうものでもなかった。周辺的な描写に10秒もかけたわりに、花火自体はやけにあっさりと終わってしまうから、むしろあのシーン全体が散漫な印象になっていた。

  この時間感覚の違い。アニメと実写には、もうひとつ大きな違いがあって、それがこの時間感覚。アニメではムダなカットは作れないから、1/8秒くらいの刻みで厳密にショットを管理する。自然、そうした感覚は研ぎ澄まされていくだろう。

  何度も言うように、実写にもそういう作り手はいる。でも、フォーマットとしてそういうものを磨いていける形になっていないのも事実で。だからこそ、こういうユルユルのシーンを平気で撮れるような作り手が出てくるわけだろうな…と_φ(・_・