アイドルドラマ・映画に関するetc 6(ねらわれた学園) | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
「アイドルドラマ・映画に関するetc 6」
 
 アニメ映画、『ねらわれた学園』(2012)を見ました。
 
 果たして、これはアイドル映画なのか…少なくともアイドル映画/ドラマという文化から出てきた作品であると言うことは出来るでしょう。これのもとになった小説、『ねらわれた学園』は何度もアイドル映画/ドラマになってきた題材です。
 
 薬師丸ひろ子さん主演の映画『ねらわれた学園』(1981)…原田知世さん主演のドラマ『ねらわれた学園』(1982)…それらは、80年代アイドル映画/ドラマの黄金時代を彩るものでした(その後も87年、97年と映像化されてきました)。
 
 まあ、それらの作品の出来自体には…疑問符もつくのですが。
 
 この映画にも、そうしたアイドル映画の気配は色濃く残っています。なによりヒロインを演じているのが現実のアイドル渡辺麻友ですからね。しかも麻友は主題歌も歌っています。アイドルがヒロインを演じ、同時に主題歌も歌うというのは、典型的なアイドル映画/ドラマの特徴です(81年版は違いましたが)。
 
 じゃあ…アイドル渡辺麻友が主演をして、主題歌も歌った『書店ガール』はどうなんだ…という話は脇に置いておいて…(そういう意味じゃ、あれはどの層に向けた作品だったのかさっぱり分かりませんでした)。
 
 ちなみに、以前の記事で麻友の『サヨナラの橋』(アニメ版『ねらわれた学園』の主題歌)を流していたのは、これ見てたからなんですな(笑)
 
 余談ついでに、学校でドビュッシーの「月光」を弾く男の子に(別のヒロインが)恋をするくだりは、ボクがよく例に出す傑作アイドルドラマ『放課後。』(2004)を彷彿とさせました。ただ、もしかしたら、それらにはもっと別に共通の参照元があるのかも知れません。
 
 この映画そのものは、そのように色んな要素の寄せ集め…という感じで、良くも悪くもない…って感じでしたかね。「やや良い」(3.5〜4.0)くらいかな( ..)φ
 
 レンズフレアにゴースト…画面全体に散りばめられた、過剰とも言えるほどの光の演出が印象的で、この映画を見た新海さんが「思春期には世界も他人の感情も眩しかったという表明なんじゃないか」(twitter)と述べていたことを思い出したりもしました。
 
 さて、本題の麻友の話。
 
 映画序盤、主人公が片想いしている(らしき)黒髪ロングの子が登場するのですが…これがもうやったら上手い!! ボクはヒロインが麻友ということだけは知っていたんで、「これ、もう麻友は専業の声優さんとして食っていけるんじゃないか…!? 」とか思ったんです。
 
 いや、さすがアニメ『AKB0048』の声優オーディションに通っただけはあるなと。さすが「NO NAME」(48の声優選抜ユニット)やなと。しっかし、上手さが尋常じゃない。もうね、感動ものなんです。
 
 …花澤香菜さんでした…。
 
 (-_-;)
 
 そりゃあ上手いわけだわ!! (笑)
 
 でもね…(出てきてすぐに、「こっちがそうだ」と気づいたんですが)麻友の声も悪くなかったと思います。そりゃあ花澤香菜さんに比べたら…というか比較にならないけれども、それなりには溶け込んでいたんですよ。
 
 『書店ガール』であれだけ浮いた演技をしていたのに(当社比)、こっちでは意外なほどに溶け込んでいる…(当社比)。これ、ボクは結構おどろきだったんですよね。
 
 なぜか…。
 
 思うに、実写とアニメってのは、リアリズムの程度が違うじゃないですか。
 
 アニメってのは、本質的に現実世界の物理法則には従っていない表現なわけで、だからこそ空を飛んだり、何十階というビルから飛び降りてもへっちゃらだったり、そういう表現が出来るわけですよね。
 
 もちろん、物理法則に従っているように見せることも出来ますし、それを目指しもするわけですが、本質的には無重力の芸術なわけです。
 
 それに対して、実写というのは、どうやったって物理法則に従わざるを得ないわけですよ。画面のあらゆる隅が現実世界の物理法則に従っている。放っておいたってリアリズム(現実に従う)になっちゃうわけですよね。
 
 もちろん特殊効果やCGによって、そうでない風に見せることは出来ますが、実写ってのは本質的にはリアリズムの芸術なわけです。
 
 したがって、求められる演技ってのも、実写とアニメだと異なってくるわけです。実写の方がより現実世界に対してリアリズムであることを要求されるんですな。一方、アニメの場合、現実世界と同じように演じてしまうと、むしろ浮いてしまうことになります。
 
 要は、実写における自然な演技と、アニメにおける自然な演技とは違う…ということです。そのため、アニメはアニメ声になるわけですし、演技そのものも誇張されたものになるわけですよね。あれは萌えがどうこう以前の本質的な問題だと思うんです。
 
 このことに関して、ボクは『トトロ』でお父さん役を演じた糸井重里さんの言葉を思い起こします。宮崎さんとの対談で、彼はこう言うわけですよね。
 
糸井「ふだんのままやったら、こわい感じですよ、人がしゃべっているところって。こわいとかいばっているとかからかっているところとか――非常にね、なんというか、現実って邪悪な感じがするんですよ、意外と」
 
宮崎「わかります。むしろ自然に自然にって要求していくと、その問題にぶつかりますね。ふだんぼくらがアニメーションの声を入れているときに、いかにハレの声をいれてるかってことが逆に分かります」
(宮崎駿『出発点』)
 
 糸井さんはもちろん、コピーライターが本職なので、声に関してはど素人の筈なんですが、一瞬でそうした違いを見抜くあたり、天性のものがあるんでしょう。実際、あのお父さんの声は良いですもんね。
 
(逆に、アニメでもそういう一種の邪悪さ…あるいはザラつきを活かす演出もありえるかもしれませんが、ここでは置いておきましょう)
 
 麻友の演技は…そういう意味では、むしろアニメ向きなのかなと。実写だったら不自然でも、アニメだったら自然に聞こえる。それは別にアニメの演技の方が簡単だ…という意味ではなくてね。
 
 もともと麻友の持っている声質とか、抑揚の付け方とか、演技に対する構え方とか…それがアニメ向きなのではないかと。あの子、宝塚好きなので、誇張された表現というかな、そういうのが得意な感じもありますし。
 
 舞台という芸術も、(別のベクトルですが)映画やドラマに比べると誇張表現でやりますからね(…と言っても、実際の宝塚出身者がホントにアニメ向きかと言うと、そうでもないのが厄介なところですが[cf.『るろうに剣心』])。
 
 いずれにせよ、ボクは昔から麻友は女優に向いていないと言ってきたわけですが、それは単に演技が下手だとか、演技が出来ないということではなく、むしろアニメ向きってことなんだ…ということが分かっただけでも、今回は収穫でした。
 
 主演ドラマがあれだけ踏んだり蹴ったりだった後ではね。