シンデレラ(5.0) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
『シンデレラ』
CINDERELLA
 
2015年アメリカ、105分
 
監督:ケネス・ブラナー
 
主演:リリー・ジェームズ
 
概要
 古くから人々に親しまれている「シンデレラ」の物語を実写化したラブストーリー。継母と義姉妹から冷遇される日々を送っていた女性が、未来を切り開く姿を追い掛ける。メガホンを取るのは、演技派俳優で『ヘンリー五世』などで監督としても高い評価を得ているケネス・ブラナー。テレビドラマ「ダウントン・アビー」で注目を浴びたリリー・ジェームズがシンデレラにふんし、その脇を『ブルージャスミン』のケイト・ブランシェット、『英国王のスピーチ』のヘレナ・ボナム=カーターといった実力派が固めている。(シネマトゥデイより)
 
感想
 12時まで魔法は解けない。
 
 誰もが知っている。だけど、いまさらシンデレラ? しかも今回は、『眠れる森の美女』に対する『マレフィセント』のようなカウンターではなく、真正面から『シンデレラ』だ。
 
1.
 冒頭、『アナと雪の女王』の短編が上映される。これはまあ、大したことはない。ディズニーチャンネルで放送するのにちょうど良いくらいの感じで、よほどのファン以外はわざわざこのために見に行くようなものじゃない。
 
 だけど、『シンデレラ』と『アナ雪』が併映されるということは、少しだけ意味がある。『アナ雪』は、ひと目ぼれであっさり王子様に恋しちゃう女の子を皮肉っていたけれど、あそこで皮肉られていたのは、まぎれもなく『白雪姫』や『シンデレラ』だったからだ。
 
 1930~50年代ごろのディズニー作品における、ああした王子様は、単に「王子様」であるための王子様…見目麗しく将来性豊かな若い男子で、閉塞した日常から彼女たちを連れ去ってくれるための、いわば装置のような存在…でしかなかった。『アナ雪』が皮肉っていたのもそれだ。
 
 ディズニーの強みは、自らの内にそうした問題系を抱えていて、時代ごとにそれに対するアプローチを変えていくことで、作品をアップデートしていけることだ。『アナ雪』に皮肉られた『シンデレラ』は、じゃあそれにどう答えよう。
 
 その答えは映画を見れば分かる*けれど、しごく真っ当なものだ。ケイト・ブランシェット演じる継母の悲哀や、王子とシンデレラの境遇がパラレルになっていることなど、心境面も丹念に作り込んである映画だけれど、その答え自体は、あまりに真っ当で、すでに使い古されてきたものだから、ひょっとしたら詰まらないものに感じられるかも知れない。
(*と言うか、↓の予告編を見るだけで分かっちゃうな(^_^;))
 
2.
 だけど、そんなことは関係ない。
 
 『アナ雪』の真髄が、ああした皮肉にあったわけではないのと同様に、この『シンデレラ』の真髄もそこにはない。ケネス・ブラナー(監督)、ハリス・ザンバーラウコス(撮影)、サンディ・パウエル(衣装)、ダンテ・フェレッティ(美術)、パトリック・ドイル(音楽)…そして、美しいリリー・ジェームズ。
 
 もともと古典そのものが持っている力というものがある。なにも複雑なことはしなくても、一流の人材が丁寧に作っていけばどうなるか…こうなるんだ。ここでは、美がすべてを統べている。
 
 ある時には絵のように静かで、またある時にはペガサスのように躍動的な画面。その画作りは、時にハリウッドの古典映画のようであり、時にラファエル前派のようであり、時にロココのようであり、そしてまた時には、ダヴィド、ベラスケス、フェルメール、ホイッスラーなどを連想させる。
 
 何よりの出色は、舞踏会の衣装。流麗な音楽が流れるなか、ブルーのドレスを身にまとったシンデレラが、階段の踊り場に立ち、腰をかがめて会釈をする…たったそれだけで、なぜか涙がこぼれそうになるくらい美しい。あの瞬間は、なにか永遠のものを感じさせる。
 
 美というのはすべてを統べる力があるんだ…少し哀しいことではあるけれどね。
 
 It's nearly perfect...僻みの入り込む隙間もないほど美しい。
 
☆☆☆☆☆(5.0)
物語☆☆☆☆★
配役☆☆☆☆☆
演出☆☆☆☆☆
映像☆☆☆☆☆
音楽☆☆☆☆☆