幕が上がるとSKEとひょんさん | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「ココロコネクト」

1.
 また『幕が上がる』を見に行った。都合4回目…これっていったいなんだろう…ここには明らかに何かがあって、ボクはその何かに引き付けられている。

 少し前、ある人に、『幕が上がる』が素晴らしくて何度も見に行ったという話をした。彼はボクがAKB好きだと知っているから、「じゃあ、ももクロの方に行く感じ?」と聞いてきた。

 ボクはその質問がピンと来なかった。『幕が上がる』はたしかに、ももクロの映画だけれど、ボクの感覚としてはももクロを見に行っている…という感じではないんだな…。

 それだけ作品としてしっかりしている作品だということでもあるんだけれど。もはや古典みたいな普遍性を持っているから、ボクにとってあの映画は、ボク自身についての映画でもあり、またSKEについての映画でもあって…。

 普通に考えれば、『Documentary of SKE48』はSKEの映画で、『幕が上がる』はももクロの映画なんだけれど、あの映画を見るたび、ボクはSKEのことを考える。

2.
 あの映画の基本的テーマは、次のセリフ(うろ覚え)が表している。

「舞台の上ではどこまででも行ける。想像するだけなら無限だよ。でも、わたしたちはどこにもたどりつけない。わたしたちが進むたび、宇宙や世界はそれより何倍何十倍もの速さでどんどん広がっていくから。だから、どんなに遠くまでいったつもりでも、そこはどこでもないどこかでしかない。宇宙の果てにはたどりつけない。それが不安ってことなんだって。それがわたしたちってことなんだなって」(『幕が上がる』)

 想像するだけなら無限だけれど、ボクらはどこにもたどりつけない(切符だけは持っている)。でも、そうして不安を抱えながら歩き続けるのがボクらなんだってこと。

 もちろん、そうした姿がSKEと重なるってこともあるし…。

 「青い花」ってのがボクの基本原理なわけで、それはずっとずっと追い求めるもの。なんだけれど、そこには決してたどり着けない…。それは何度も書いてきたし、それがボクのアイドル観にも反映している。

 こういうボクの心性がこの映画に共鳴してしまった…というのは、きっとすごくあるんだろう。そして、ボクの場合「青い花」は、時に「過去」にもなってしまうわけで。

 るみの生誕祭にサプライズ登場した、にししとみえぴーが「数日前にこのステージから卒業したのに、もう来ちゃった」みたいなことを言っていたのを聞いて、ああ…ホントにもう辞めちゃうんだな…ってはじめて実感したり…。

 タイムシフトで先日のニコ生を見て、眠りそうになりながらタンバリンを叩くこあちゃんの姿に、なぜだか涙がこぼれそうになったり…。

 ずっと当たり前のようにそこに居たのに、ある時からふと居なくなって…ってことに、ボクはいつも全然実感が湧かなくて。いつもいつも、またあの時間がどっかからかやって来るんじゃないかと…心のどこかで思っていて。

 でも、どんなに前へ進んでも、過去はどんどんどんどん遠くへ過ぎ去っていくだけで。ようやくボクは、それが決して取り戻せぬものだってことに気付くんだ。

 そうしたものがすべて「青い花」になっていって。ボクはそうしたものをすべて抱えながらSKEと歩いている。いまはくまやなっきぃや梅ちゃんが大切だな…とか思いながらね。なんかね…そんなこと。

3.
 「それでも人はみんなひとりだよ。宇宙でたったひとりだよ」 「でも、ここにいるのはふたりだよ」(『幕が上がる』)

 昨日、ひょんさんが総選挙不出馬を表明した。

 ツィッターが流れてきた瞬間、ドキっとした。でも、なんか納得できる気がした。なんとなく、そんな予感がしていたんだ。

 大前提として、48共和主義者であるボクは総選挙というものを絶対に否定しない。総選挙は権力者たちからアイドルを取り戻すための(ほとんど)唯一の手段だから。

 それに、風の読みとしても、今年こそむしろ、ひょんさんが本気の勝負をかけたら面白かった年だとも思う(ひょんさん自身は去年が勝負の年だと思っていたみたいだけれど、去年は明らかに麻友に風が吹いていた)。

 ただ…ひょんさんの決断はなんとなく分かる気がした。

 なんだろうな…前から書いているように、ボクはひょんさんは少し「別」だと思っている。ひょんさんならボクを理解してくれると思っているし、ボクならひょんさんを理解してあげられると…心のどこかで思っている。

 最近、なんでもぶっちゃけちゃうから書いちゃうけれど、よく考えることがある。それは『ドラゴンボール』に登場する「精神と時の部屋」のこと。

 重力が十倍とかそういうことは都合よく脇に置いておいて、ボクにとって重要なのは、時間の流れが外界とは違うということ。外界の1日が、「精神と時の部屋」では1年になる。

 最近、なにをするにも時間が足りな過ぎて、この部屋にずっと閉じこもって、映画を見たりアニメを見たり本を読んだりしたいな…ってボーっと考える。

 そして、この部屋にはもうひとつルールがあって。それは一度に2人まで入れるということ。

 …なんだろうな…映画やアニメのこともそうだけれど、話したいことがたくさんある気がするし、聞いてあげたいことがたくさんある気がする。

 でもさ…でも、それもどこまでも行ける切符と同じで。想像するだけなら無限だけれど、ボクはきっと、どこにもたどりつけない。ただただ、理解してあげたい…ってそんな驕慢な想いだけが宙を漂っている。