幕が上がる徒然2
昨日、もういちど『幕が上がる』を見てきた。なんだろうな…あれ、ずっと見ていられる。「完璧だ」って思えるんだよね。
それは、対象そのものがそうだってこと以上に、ボクにとって完璧だって感じもあるのかも知れない。
この映画は、ボクの好きなもので囲まれている気がするんだ。本広さんと平田さんって話は以前書いたけれど…それ以外にも。
冒頭、たき火で燃やしている台本のタイトルが『ウインタータイムマシーンブルース』。もちろん、これはヨーロッパ企画の舞台(のちに本広さんが映画化した)『サマータイムマシーンブルース』のもじりだ。
これだけで、ボクは少し嬉しくなってしまう。
それから、劇中のお芝居は、ボクが敬愛する宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をもとにしたものだし、志賀廣太郎さんが素晴らしい声で朗読する谷川俊太郎さんの「二十億光年の孤独」もボクの本棚を飾っている詩だ。
あの志賀さんの朗読によって、「宇宙」という言葉にものすごい広がりが生まれていて、それによって、作り物のようで少しウソっぽい劇中の星空が幻想へと昇華している。
この映画で星空を描いている場面は3回ある。新宿と校舎と、そして駅のホームの場面だ。これがまた良いシーンなんだよね。
小っちゃい駅のホームが、もうまるで舞台のように見えるんだ。照明もなんか作り物っぽくて、でも綺麗なんだよね。屋外でああいう照明をすると普通はウソっぽくなってしまうんだけれど、駅のホームってことでごまけている。ちゃんと地に足がついている。
それに、実際の駅舎を使っていて、背景も自然の風景だから、ある意味では本物っぽいんだけれど、その舞台みたいな作り物っぽさが画面に浮遊感*を与えていて、それがなんかすごく『銀河鉄道の夜』っぽいんだ。
(*「浮遊感」と「地に足がついている」ってのは矛盾しているみたいだけれど、アドバルーンみたいなイメージかな。浮遊しているんだけれど、ちゃんと地面にくっついているっていうね)
宮沢賢治って人は、土と電燈と銀河の人だとボクは思っていて…(つまり、大地とか生命と、文明とか科学と、夢とか幻想の人ってことね)。この画面には、その3つがちゃんと揃っている。
でさ~…
つづく