月曜日に『DOCUMENTARY of SKE48』と『幕が上がる』を見て以降、数日間、SKE関連のことを呟かなかった。別に嫌いになったわけじゃないんだ。気持ちが「ももクロ」に移ったわけでもない。SKEのぐぐたすやブログは変わらずチェックしているし、公演も普通に見ていた。
ただ、口に出すと何かが零れ落ちてしまいそうで、好きな気持ちが零れ落ちていってしまいそうで、気持ちがちぎれてしまいそうで、何も呟けなくなっていた。言い知れない不安感に襲われていた。それってなんでだろう…それをずっと考えていた。
ボクが愛するものって色々とあるわけだけれど、SKEってのはその中でも中心的な位置を占めている。ここ数年のtweetを振り返って見ても、ほとんどSKEのことばかり呟いているんだ。
だから、映画館内でも――そこは完全にSKE空間なわけだけれど――なんかいつもとそんなに変わらないな…って印象だった。だって、いつもSKEのことばかり見て、SKEのことばかり考えているんだから。
映画を見てイヤな気分になったわけじゃない。作品としては評価できないな…とは思ったけれどね。
いくつか印象に残る場面もあったし、ひょんさんは相変わらずきれかった(不思議と、悲しい顔をしていたり頑張っている場面よりも、たとえば野音の柵につかまろうとした場面とか、そんな些細な場面が印象に残っている)。
だから、映画自体がイヤだったというわけじゃないのだけれど、なんだろうな…
この映画でもっとも印象的なシーン…実際のラストシーンは、くーちゃん…矢神さんと言うべきなのかな…が去っていく後ろ姿だろう。彼女をはじめとして、卒業生が多く登場し、現在の彼女たちの夢を語る。あるいは卒業したばかりの子たち。気持ちを切り替えた筈なのに、やっぱりボクは後ろ髪を引かれる。
そうしている中で、ボクは、ボクの中のSKEというものが散っていくのを感じた。
う〜ん…言葉が難しいな…。それはSKE終わるという常套句が言いたいわけじゃなくて、たとえばある年の桜の花はいつしかすべて散って、でもボクらは同じ木が翌年も花をつけるのを見る。そうして、それが桜だと思っている。
だけど、散った花はどこへ行ったのだろう。紛れもなく、かつてはそれらも桜だったわけだけれど、散った花もまた桜なんだろうか。ボクは…散った花からは目を離して、そして木だけを見ることで、「桜」というものの…なんというか自己同一性を保ってきた。
ボクはいつだって卒業がイヤだイヤだと思っているし、「なんで辞めるんだよ…」っていっつも思っている。ぷっすまの散歩企画で我が家の杉山さんを見りゃあ、シャイなあの子が一緒に散歩していたことを思い出すし、手紙のことを見ていれば、七転び八起きの子が手紙を読まなかったことを思い出す(その横で優しく微笑んでいたゆりあの顔もね)。
色んな感情に封をして、出来るだけ卒業生のことを考えないようにしてきた。そうして、なんとかかんとか感情を転がしてきたんだ。少なくとも、ボクはそうしないと、共に歩いてこられなかった。
なにかの際にふと卒業生のことを思い出す時も、それは木に咲いている時のことを思い出すわけだから、「桜」という概念に疑問が生じることはなかった。木に咲いているものが桜だというね。
でもね。SKEとして銘打ったこの映画で、卒業生たちが出てきて、自らの夢を語って…なんかそんなものを見ているうちに、ボクの中の桜が分裂していくのを感じた。
もちろん、彼女たちは現役SKEとして出てきたわけじゃない。そういう意味では問題は生じない筈なんだけれど…だけど、たとえばなな子は見た目変わっていたけれど、でもやっぱりなな子なわけで…そして、かつてはその子をもっともSKE的なものとしてボクは見ていたわけで。その部分はボクの心の奥底にどこか残っているわけで。
う〜ん…なんだろうな…散ってしまった花にもボクは「桜」を見てしまったわけで、その一方で、この映画には、ボクがいまもっともSKE的なもの*として見ているくまやゆめちやなるちゃんやなっきぃやきょんかやうめちゃんやさきぽんや…あるいはるみは(インタビューという形では)出ていなくて。
(SKE的ってのはSKEイズムとかそういう意味じゃなくて、ボクにとってSKEと言えばこの子たちってくらいの意味)
だから、「桜」って言われているのに、ボクが桜だと思っている(木に咲いている)花たちが桜だと言われていなくて、ボクがもう桜だと思っていなかった散った花たちが桜だと言われているような…そして、なんと言うかボクは少しそこに気持ちが乗っかってしまったわけで…おりしも49のレッスンでくまたちの顔をあまり見かけなくなっていて、なんか、そんなこんなでボクの気持ち自体が桜の花びらのように少し分裂してしまって。
こう書くと卒業生を扱ったことを否定的に捉えているようだけれど…そういうことを言いたいわけじゃなくて。たとえばさ…「2008年」とか、「1期生」とかね…そういう風に的を絞った作品であれば、卒業生が出て、さっきの子たちが出てこなくても何の違和感も抱かないわけさ。
でもね…「これがSKEだ」って抽象的なことを言われた時に、なんか「SKE」と名指しされているものと、ボクの中でのSKEとのズレに、なにか気持ちが…ね。じゃあボクがSKEだと思っているものはいったいなんだ…って。なんか色々わかんなくなっちゃった。
それから、公演でめちことかなっきぃとかなるちゃんの顔を見ている内に、少しずつ少しずつ落ち着いてきた。だから、いまはなんか…リハビリ中かな…。
つづく