SKEとNMBのシングル同時発売。
思いの外(?)、メンバー(とりわけSKEメン)の反発が強いみたいですな。それぞれに理由は違うでしょう。ボクの目に付いた理由は主に2つでした。
「競走」という文字を避け、「共走」という文字を使ったまさにゃのように、他グループとは共に歩みたい、争いたくないという理由。もうひとつは、「戦うために曲を出すわけじゃないですからね。皆さんに聴いてもらうためだから」という玲奈のように、曲自体を純粋に楽しんで欲しいという理由。
まあ、それぞれ分からんことはないです(心情的にはよく分かる)。
…が、今回に関しては、ボクはどちらかと言うと、運営よりです。
前者に関しては、ただのお仲間同士の仲良しグループに興味はない…って話は以前もしました。
それにその…「共に走る」っていうのはそれ自体は美しいことのように思えますが、それがことプロダクト(生産)の話になると、談合的な発想に結びつきます。その談合的な発想ってのが、もともとボクは好きじゃないんです。日本の企業はそれでダメになったと思ってるんですが。
いくつかの大企業間で「棲み分け」して一定のシェアを確保して、そんで先行有利だからベンチャーも参入してこなくて、モデルチェンジしていくだけで売り上げは確保できる。資本主義といいながら、そこには競争原理が働くなくなっていました。
そんなんで何十年か続いたわけですが、もちろんそんなことやってりゃ、誰も冒険しなくなるわけで。それでデジタル化による変化にまったくついてこれなくて、たとえばアップルのiPod(黒船)に完全にやられちゃうわけでしょう?
だから、だれかKYなヤツがいなきゃダメなんですって。なあなあでやってたらさ。ボクはそういう意味では、AKBは音楽業界というものに風穴をあけた国産アップルだと思ってます。だからこそ、嫌われもするわけですし。
「アンチ」の方が言うように、AKBは文字通り「音楽業界をぶっ壊した」わけで、そういう意味では、ただ歌詞でロックなことを歌っている奴らよりも遥かにロックでした。なんか今さら守りに入るってのは違うんじゃないかって気がするのです(政権奪取して体制派になってしまった革命家みたいに)。
それに、今でこそ当たり障りのない曲を出すようになっていますが、もともと音楽的にも反逆精神の塊でした。『制服が邪魔をする』とか『軽蔑していた愛情』とかね。あれがAKBの本質だとボクは思っていたのですが、いつしか「国民的」なるものに成りおおせて毒を抜かれていったのです(レコード会社変わったってのもありますが)。
いまのAKBには毒気がないんです。毒がなけりゃ刺激もない。毒にも薬にもならんってやつです。それは、曲の良し悪し関係なく、ルーチンワークのようにミリオンを達成していくシングル見ていてもそうでしょう。
たしかに、SKEはそれとは少し違います。SKEは、当初からもっと「健康的」な印象がありました。AKBが「夜の渋谷のスクランブル交差点で、ひとり佇む少女」だとしたら、SKEは「燦々と輝く太陽の陽射しが零れる大須商店街で、みんなで踊る少女たち」でしょう。
あるいは、AKBが個人主義のアメリカだったとしたら、SKEは集団主義の日本だと言ってもいい。家族主義的というかね。それくらい違う。だから、まあ今回の件にもっともSKEメンが反発するってのも、ある意味では分かりやすくもあります。
そうした日本的な家族主義/集団主義ってのは、日本を驚異的なスピードで復興させた原動力でもありましたし、世界第二位の経済大国へと押し上げた原動力でもありました。しかし、それは一方で、談合的なシステムを生み、やがて競争力を失っていった…というのも上で指摘しました。
アメリカ的だったAKB本体も、いつのまにか日本的なシステムに取り込まれ、ただの仲良し集団に成り果てていきました(まあ、もとが日本人ですからね)。逆にSKEはその点まだマシかもしれませんが、いまの48は(AKBもSKEもNMBもHKTも)みんなグループ単位ではお互い「なあなあ」でやっているようにどこか見えてしまうのです。
だから、ここらでKYなこと(同時発売)があっても良いとは思うのです。たとえそれが身内同士のプロレスだったとしてもね。それに、ファンは端から比べてるんだし、そういう水面下にあったものを浮かび上がらせるってやり方は、いかにも48らしいとも思います(それは総選挙がまさにそうでした)。
ただ、それはあくまでもプロダクトとしての話であって、音楽は音楽として純粋に聴いてほしいという後者の考えが残るでしょう。それに関しては次回。
つづく