今さらな話3(ドラフト) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「あれから一年」

 『そして父になる』を見ました。

 なぜかってなぜか…

 2013年11月10日、「AKB48グループ ドラフト会議」が行われました。ボクは(前回行われたやり方での)ドラフト制度には反対です。それは、いまも変わりません。その理由はあらためて説明する必要もないですが、ドラフト制度が抱えている不公平さを重く見ているからです。

 最近では、選抜に選ばれた惣田ちゃんをはじめとして、活躍するメンバーも出てきたりして、ドラフト生を評価する動きも出てきていますが、そのこととドラフト制度そのものが抱えている問題とは切り離して考えるべきだとボクは思っています。

 少なくともボクには、その議論は通じません。惣田ちゃんが活躍することなど、端から分かっていたことですから。「惣田さんを選んだことは、K2にとっては大きいかも知れない」。あの時、ボクが言っていたことです。

 だから、それがドラフト制度に賛成する理由にはならんのです。まして、ボクらは実際にあーさを失ってしまったのだからなおさらね。

 でも、そうして来たメンバーに対する感情…それはそれで別にあるわけで。まして、時間を経てくれば、それはそうなるでしょう。

 そうしたところが、『そして父になる』と通じるな、と思ったわけです。

 『そして父になる』では、(故意に)取り違えられた子を何年間か自分の実の子として育てたあと、その事実を知るわけですが、やっぱり共に過ごしてきた時間というのは大きいわけですよね。

 「赤子取り違え」自体はこれはもう許されざること。それは言うまでもない。でも(知らなかったとは言え)そうして育ててきた子に愛情がないか…そんなことはもちろんないわけで。

 そのことがあって、あらためて振り返ってみると、(実の子だと思っていたのに)ちゃんと父親をやっていなかったということに気付くのです。そして、あらためて、その子を「わが子」として受け入れることで、ホントに「父になる」わけでしょう。

 そこで重要なのは、おそらく、そこに「ドラマ」があるってこと。障害にぶち当たって、それに向き合うことで、障害が乗り越えられていく。その過程を、人は「ドラマ」と呼ぶわけですよね。

 だから、ドラマが必要なんですよ、ドラマが。その過程をボクら自身が共有する必要があるんです。

 かおたんはさすがにその辺の嗅覚があるのか、ドラマを作ろうとした節はあります。研究生公演にはドラフト生を出さないとかね。あるいは、例の(いわゆる)「惣田ちゃんいじめ事件」も、結果的にはドラマ作りに一役かったかも知れません。

 でも、運営やメンバー含めて、もっと意識的にドラマを作っても良かったかなとは思うんですよ。それは別に対立を煽っているわけじゃなくて、乗り越えられるべきものとして、その問題を正面から見据えてみよ、ということです。

 まあ、実際のところ、内部では色々とあったのかも知れませんが、でもそれはこちらには伝わってきません。だから、いつまでたってもカタルシス(浄化)がない。
 
 とくに最近の運営の場合、スキャンダル対応にしてもそうですけど、実際に目の前に問題があるのに、あたかも何もないかのように振る舞うことが多いです。それって、絶対に良くないな…とボクは思うんですよ。

 その場はやり過ごせたかのように見えても、ノドに引っかかった魚の骨のような違和感はずっと残っていく。それよりも、(さっしーのように)ドラマにしてしまって乗り越えさせた方が、のちのちを考えれば絶対に良いでしょう。

 でも、いまの日和った運営にはそうした対応は(正直)期待できません。

 だから、ボクは『そして父になる』を見たんです。自分の中でドラマを消化するためにね。48ファン多しと言えども、ドラフト生を受け入れるために、『そして父になる』を見たのはボクくらいか…どうだろう?

 どんちゃんのブログは心に痛かった。あんなものをこの子たちに背負わせちゃいけない。それは研究生たちにもドラフト生たちにも。



P.S.
 いや…さすがに「父」ってのは(惣田ちゃんとかハタチ越えとるし)…むしろ「お兄ちゃん」か…いやまてよ…ひょんさんがチームEのドラフト生たちを「娘」と呼んでるってことは、「父」になれば…それがそうなってこうなって…ヨシ、やっぱり「父」と呼び…すいません<(__)>

 最近は荒井ちゃんがちょっとお気に入り(* ̄艸 ̄)