「努力する限り、人は迷うものである」(ゲーテ『ファウスト』)
(注:この記事で男と言っているのはボク自身。女の子と言っているのはボクが見てきた女の子という程度のものです)
男は、あたかも人生が2万年もあるかのように生きる。前回の記事では、子供で居たいから決断しないんだ…と書いたけれど、そりゃそうで、2万年の内の何十年かなんて幼少期みたいなもん。80歳だろうが100歳だろうが、まだ人生始まったばかり(笑)
男がいつまでも子供のままって、たぶんそういう意味。
これは良いとか悪いとかじゃなくて、現にそうなんだ…という話。だからこそ、かくも多くの作品で「決断」がテーマになり得るわけで。
一方、女の子はどうかって…ボクはそこのところにすごく違いを感じる。なんかこう…生き急いでいるってわけじゃないけれど、すごく切羽詰まったものを感じる時があって。だから切り替えも早い。常に変化のなかに生きている。
その違いは、おそらく作品にも現れていて、それは言ってみれば、
花の色は うつりにけりな いたづらに(小野小町)
と、
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(劉希夷)
の違い(もちろん、前者は女性、後者は男性によるもの)。これ、視点の問題と自分を花にたとえるかどうかを除けば、一見似たようなことを言っているようだけれど、そもそもの時間感覚が違う。
前者は瞬間に焦点があるのに対して、後者の時間軸は季節単位になっている。同じことを言っていても、これだけ違うニュアンスが出る。あるいは、「花は短し恋せよ乙女」って歌もあるけれど。これがなぜ「乙女」かって話。
この、「今しかない」って感覚がボクは分かるけれども、その切迫感をもった実感としてのそれとは違うなって。だって、それじゃなかったら、こんな悠長に学生やってないもん(^_^;)
ま、それはともかく…
アイドルってのは、そうした時の流れを一旦停止させてしまうこと。
「川の流れのように」と言ったのは、我らがプロデューサー氏だけれど、むしろ、渓流のようなその人生の流れを一旦停止した、いわば湖みたいなものがアイドルの世界なんじゃないか(人為的に停止されているという点において、ダム湖かな)。
もちろん、その中での成長はある。歌が上手くなったり、踊れるようになったり、演技ができるようになったり、MC力がついたりね。でも、赤子→少女→彼女→妻→母親という「生の現実」の流れに関しては、滔々と流れていって海へと行き着く前に一旦停止されている。
ボクは、その一旦停止にこそ意味があるのじゃないかと思う。
決断しないボクらは、もともと川の中腹で漂っている。川の流れはいくつもあって、その同じ流れを同じスピードで進むって可能性はゼロに等しい。でも、一旦停止していれば、そこを見つけることが出来て、そこに居る間だけは、ともに何かを見ることができる。
だから、アイドルの世界ってこう…なんというか、湖の生態系みたいな、そんな感じが少しあって。ボクらはその湖に棲む魚で。
もちろん、水は下へ下へと流れていて、いつかはみんな、否応なく下っていってしまう。
『ファウスト』で、悪魔メフィストフェレスはこう告げる。「今何やらが過ぎ去った。それになんの意味がある。元から無かったのと同じじゃないか」…身も蓋もない言い方をすれば、人って死ぬために生まれてきたようなもの。
でも、だからって人生が無意味ってわけじゃない…。湖には、それはそれで何か意味のあるものがあって。人にはなにかそういうことがある。その中間的な何かに意味を見出すということがね。
海の中を浮上していく泡に映る虹。重力に引っ張られる大気の上空にできるオーロラ。なにかそのようなもの。そして、アイドルは、一旦停止によって、その中間性を謳いあげる。
だから、アイドルに年なんて関係ない。次世代なんて関係ない。アイドルであるかアイドルでないか…その泡の一瞬で一旦停止しているかそうでないか、の違いしかないんだ。
ボクらはメフィストフェレス。2万年の時を生きる悪魔。大人と子供の中間でたゆたう。みなどんどんどんどん大人になっていく中で、めまぐるしく目の前を駆け抜けていく中で。「キミよ、止まれ」と願った。
悪魔メフィストフェレスは、ファウストと契約し、かの人を若返らせ、ありとあらゆる栄華と苦悩を与えた。でも、きっと憎くて契約したんじゃない。ファウストは最後、「刹那/瞬間」にむかって、「止まれ、お前は美しい」と叫んでしまい、契約によって悪魔に連れて行かれることになる(メフィストはきっと、仲間が欲しかったんだ)。
だけど、天使たちによって救われるんだ。
「絶えず努力するものはみな、我らが救うことができる」
と。
ファウストは救われるべくして救われた。
ボクらメフィストフェレスはずっとここにいる。
そして、ボクは最後の一行を付け加える。それでも意味はあるのだ…と。