『るろうに剣心 伝説の最期編』
2014年日本、135分
監督:大友啓史
主演:佐藤健
概要
和月伸宏原作のコミックを基に『プラチナデータ』などの大友啓史監督と佐藤健主演で映画化したアクション大作の完結編。激動の幕末にその名をとどろかす伝説の人斬り・緋村剣心が大切な人と国を守るべく、日本征服をもくろむ志々雄真実一派との壮絶な死闘に挑む。主演の佐藤のほか、武井咲、伊勢谷友介、福山雅治、江口洋介、藤原竜也といった豪華キャストが共演。クライマックスを飾るにふさわしい未曽有のバトルに胸が高鳴る。(シネマトゥデイより)
感想
映画というのは何より映像だ。
当たり前のことを言っているかも知れない。けれど、この国では映画を(映像ではなく)まるで本のように考えているところがあると思う。たとえば、芸能界の「映画通」から『アナ雪』に対する批判が巻き起こったとき、そのほとんどはストーリーに対するものだった。
もちろん、ボクもそういう批評はする。ストーリーというのは、それ自体が言語的なものであって言葉で扱いやすいのだ。必然的にストーリーを語ることが多くなるのは仕方がない。
これは見る側だけではなく、作る側もそうかも知れない。まるで本を作るように映画を作る。映像は筋を説明するための補助に過ぎない。そんな映画をよく見かける。まるで紙芝居のような映画。
よほど緻密な脚本であればそれで良いのだけれど、邦画の脚本家は専門家ばかりで物を知らない人が多い。そのためか、原作ものばかりを扱うようになる。原作があると、それを元に作ろうとするから、映画の「本化」はなおさら加速する。
そういう傾向が良いか悪いか、それはボクには分からない。ただ、つまらなく感じるのは確かだ。もっとこう…映像=イメージを連ねていくような映画作りがあっても良いと思うのだ。筋なんてあとで辻褄を合わせれば良い。
ムチャクチャ言っているようだけれど、現に多くのアニメはそういう作りをしているし、ハリウッドもそういう作り方をしているんじゃないか…というのは、2014年版の「ゴジラ」を見て気付いたこと(もちろん、あくまでそういう傾向があるということね)。
さて、この実写版『るろうに剣心』。これはもう典型的な「紙芝居映画」だと思う。
原作はマンガだから、映像=イメージの流れは意識していそうなもんだけれど、ヘタにオリジナル脚本になっているから、もう完全に「紙芝居映画」になってしまっている。筋を説明するための画ばかりで、映像=イメージの流れなんて、ほとんど意識されていない。
なお悪いことに、その筋ってのも、それ自体のものではなく、役者の顔を立てるためか、主人公側の登場人物ひとりひとりに見せ場を与えるような作りになっているから…うん、何て言うんだ…「総花」的と言うか…余計なことばっかりやっているように感じてしまう。
(だから、ひとりひとりの人物描写は逆に薄くなってしまっているし、十本刀はもろに割りを食って、ただのやられ役と化していた。その上、設定も展開も穴ぼこだらけ。敬礼すりゃオチがつくってもんじゃないでしょ)。
こういうところは、もうホントに邦画の病だと思う。クレジットには「画コンテ」という担当が載っていたけれど、それにどれだけの権限があるかボクは疑問だな(むしろ最初に画コンテを作れと)。
しかも、「画の強さ」という点では、このシリーズは以前にも書いたように女優陣が致命的に弱い。正直、このシリーズでボクは武井咲さんに心底失望した。
さて…画でもたせられないとなると演技でもたせるしかない。「映像ではなく声で」と言っても良いかも知れない。ところが、この映画にはその部分にも致命的な欠陥がある。そう…福山師匠だ。
役柄を勘違いしまくったキザなその話し方は、もう鼻につくとか何とかってよりも、「え? それ演技のつもりなの?」と聞きたくなってしまう。まったく、どういうつもりなんだろうね。ああいう演技しか出来んのかな…。
アクション・シーンにはそれなりに見どころはあるけれど、正直、最初の1時間くらいはまるで見る必要がない映画。あと、蒼紫がピエロすぎる…(-_-;)
☆☆★(2.5)