近ごろ、ずっと行ったり来たりを繰り返しています。どのように書いたら良いか分からないのです。だから、こうして書き上げては消した原稿が山ほどあります。
勝てている内は文句は出ない。自分の好き勝手にやっても、勝っていれば(大して)文句は言われません。また逆に、ファンの望みをハイハイ聞いていれば、勝てなくても(大して)文句は言われないでしょう。自分の好き勝手にやって、それで勝てないとき、はじめて文句を言われるのです。
言い換えれば、好き勝手やって勝つなら良い。好き勝手やって負けるならもう辞めちまえ。そういうことです。
これはサッカーに関しては真理です。それは、サッカーにおいては「勝つ」ということが絶対的な正義になり得るからです。
ただ、アイドルにはそれとまた少し違う次元がある…結局、ボクはアイドルというアングルでしか語れないということなんですけれどね。
1.
アイドルとして戦えなくなった子が山ほどいます。いや、より正確には「アイドルとして戦えなくなった」と、ボクが感じた子が山ほどいます。
「自由」とか「個性」とか、現代において神聖視されるいくつかの価値観。アイドルがそうした価値観にしたがって吐く言葉のすべては、ボクにとっては、とても弱い言葉に感じます。それはボクが、アイドルという(価値観の)アングルからしか見ていないからですよね。
「どんな自分も受け入れて欲しい」。「きっと分かってくれる」。こうした感覚はアイドルに限らず、誰もが持っているものでしょう。しかし、ボクは彼女たちの友人でも恋人でも旦那でもありません。アイドルというアングルを離れてしまえば、何の関係もなくなってしまうのです。
とは言え、それなりに長く見てくると、情が移ってしまうのも確かです。彼女たちがどれだけ頑張ってきたか、どれだけ苦しんできたか、もちろん、その全てを分かるわけではありませんが、どうして刀折れ矢尽き戦えなくなってしまったか、ほんの少しは分かるつもりではいるのです。だから、何も言えなくなってしまう。
(運営なんてもっとずっと彼女たちに近いから、もっとずっと前から「戦え」と言えなくなってしまっているんでしょう…)
これはまた、ボクの判断が理と情とで分かれてしまう部分でもあります。「アイドルとしてはこうすべきだ」という理と、「とは言ってもその辛さも分かる」という情のね。ただ、理に徹すれば何かを言えるか、というとまたそうでもないのです。アイドルに徹すれば勝てる…という保証はどこにもないからです。
それはそれ自体に価値があるのであって、勝つための方策ではありません。
「アイドルであれ」というのは、結局、ボクの願い、ボクのエゴであって、だからこそアイドルであるということ自体に価値を見出してくれる子にしか、ボクは「戦え」と言うことはできないのです。それが本当に彼女たちのためになるか…というのはボクが決められることではないし、それを強制は出来ないですからね。
2.
以前、ファンとメンバーの関係を、エヴァにおけるシンジ(ファン)とアスカ(メンバー)の関係にたとえましたが、この観点からは、また別の関係性が見えてきます。それは、シンジがメンバーで、ファンがミサトという関係性です…って、男女逆転してますが…(^_^;)
ミサトにとって、「エヴァに乗れ」=「戦え」ということは、シンジとの関係を保つ唯一の手段です。シンジがエヴァのパイロットである、ということが2人を結ぶものなので、シンジが「もうエヴァには乗りたくありません」と言ってしまえば、別れるしかない。
実際、そういう回ありましたよね。
でも、ミサトはシンジの痛みを分かっているから、ムリに引き留めることはできない。最終的に、シンジは自らの意志で残ることを決めるわけですが、それでも問題が解決したわけではない。ミサトは「エヴァに乗りなさいシンジ君」と言い続けるしかないわけです。
ただ、それが自分(と大人たち)のエゴだってことも分かっている(エヴァってのは基本的にエゴの塊で出来た物語ですから)。だから、あの最期のキスってのは、もうあとのことを考えなくても良くなったゆえの、いわば真心の発動であって、だからこそ「まごころを、君に」なんでしょう(本当か)。
そのシンジに対するミサトの心境というのが、アイドルに対するボクの心境と共通する…ような気がしないでも…なくはない。
ボクはアイドルという価値観を守りたいと思っている。それを守るために、またアイドルとのつながりを保つために、ボクは「戦え」と言い続けるしかない。だけど、その辛さも分かるから、ムリに引き留めることは出来ない。結局、自らの意志で戦うと決めた子にしか言うことは出来ない(そして、そういう子こそをボクは支えたい)。
そんな感じです。