下岡蓮杖展&APAアワード2014 | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


1.「没後百年 日本写真の開拓者 下岡蓮杖」

写真はインデックス(物理的接触による記号)の芸術だ。

 増山たづ子の写真を見ていると、匂いとか音とか、そういったものがボクの全身を貫いていく。そこに写っている全てのものがボクの記憶を刺激する。たとえ、それらを直接に見たことはなくても、ボクはそれらの匂いを感じることが出来る。花々、畳、フィルム写真にプリントされた年月日さえも。それらは、ボクの細胞を沸き立たせる。それは、ボクが「同じ時代に生きた」ということ。

 たとえば、湯気の立つ炊飯ジャーを見れば、あの炊き上がった白米の匂いを感じるように、たとえば、道路を走るチャリンコを見れば、あの「チリンチリン」という音を連想できるように、「同じ時代に生きた」ということは、ある感覚が他のあらゆる感覚を引き込んでくるということ。ゆえに、増山たづ子の写真を見るとき、ボクは全身の感覚を総動員してそれらを見ている。ゆえにこそ、あれほどボクは心を揺さぶられる。

 下岡蓮杖の写真にはそうした感覚はない。歴史になってしまった物語。本のなかの世界。そんな感じだ。写真様式の違いや、写っている世界そのものの変化。ボクの細胞は、そこに写っている世界の風を感じ取ることが出来ない。妙に無臭な写真たち。まるで絵のように感じてしまう。そもそも写真以外の展示が多すぎるな…(思うんだけれど、最近の写美の展覧会は、その質においてIZU PHOTOに後れをとっている)。

 ただ、風景写真だけが微かに匂いを漂わせていた。


(2階の展示は割愛。正直、ボクには引っ掛かるものはなかった。)


2.APAアワード2014
 毎年恒例のAPAアワード、今年はさほど目を引く作品はなかった。主催者が「嫉妬を覚えるような作品」という言葉を使っていたけれど、少なくとも、ボクにとってはそういう写真はほとんど見当たらなかった。

 「こういう写真を撮れるだろうか?」…という以前に、「別にこういう写真を撮りたいとは思えないな」って感じ。唯一、ボケを巧みに活かしたまゆみ瑠衣さんの「その声を耳に、そして胸を打つ」が響いたくらいかな…