いま、アイドルでいること(個性について) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「いま、アイドルでいること(個性について)」

 卒業した2期生2人から「今の子たちは個性がない」という評価があるようです。同じような批判なのに、片やボロクソに言われ、片や納得されているようで、普段の行いがモノを言うというか何と言うか…ま、そんなヒトのことはどうでも良いんですけどね。ファンの間では、「これ自体は正論である」という意見も多いようですが、それもどうだろうな~と。

 ボク自身、「今のAKBはパロディでしかない」と言っていますけど、それはちょっと違うんですよね。何をやっても過去の自分たちに言及してしまう。アヴァンギャルドも普及すればクラシックになってしまう。それは、いつの時代でも、どんな芸術でも変わりません。でも、それは「個性的」とかどうという話とは違うんですよ。


1.武断派と文治派

 期が進むに連れて、やることがマニュアル化していって、型にはまり易いってのは事実です。ただ、いまさらそんなこと言ったって仕方ない(硬直化した組織の問題は、それはそれで考えなきゃいけませんけどね)。創業の時代と守成の時代では求められる人材が違うのは当然のことでしょう。

 たとえば徳川幕府の二代目に、「何とかと天才は紙一重」みたいな人材がこられても困るのです。結城秀康ではなく、秀忠が跡を継いだということ。あるいは、創業の時は本多忠勝のような武断派が重要だけど、守成の時は土井利勝のような文治派が重要になるということですよ。

 たしかに、戦国という乱世を駆け抜けた本多忠勝の方が「派手」ですが、それは土井利勝に個性がないとか、徳川幕府にとって、より重要でないということにはならんのです。それは「個性がない」のではなく、「個性が違う」のです。それはお互い理解せねばなりません。

 尾張以来の武断派と近江時代の文治派がケンカして武断派が勝った結果、政権を潰してしまった豊臣政権の例もありますし、創業の功臣だからといって、武断派の言うことが常に正しいとは限らんのです。時代は常に移り変わるのです。


2.内と外

 また、ボクがそうした意見に賛同できんもうひとつは、もっと下らん理由です。それは、「内から見える景色と外から見える景色は違う」ということです。別に辞めたからどうというのではなく、人数が多い48グループにあっては、自分のチーム以外の人は覚えるのだけで大変です。個性を把握するのだってそんな簡単じゃない(要は、彼女が若手を知らんだけじゃないかとボクは言いたいのです)。

 AKB48の選抜だって、知らん人から見れば、ただの制服アイドル集団ですよ。グループなんてのは、外側から見れば無個性の「集団」として見えてしまうもんなんです。ノエルが言ってたじゃないですか、Manufactured girl groupって。要は、ノエルにはAKB48が「規格化された女の子グループ」に見えたってことですよ。

 でも、内から見ればそんなことはない。そんなことはないんです。時間を掛けてちゃんと見てやれば、ひとりひとりの個性を把握することができる。Manufactured girlの中にだって、高橋みなみが居て、大島優子が居て、小嶋陽菜が居て…ボクら(AKBファン)は彼女たちに個性があることを知っている。それは積み重ねてきた時間の賜なんです。

 同じ時間を過ごしてきた自分たちのチームが個性派に見えるのは、ある意味では当然のことです。もちろん、伝わり易い個性/分かり易い個性ってのはあるし、彼女が言っているのはそういう意味での「個性」なんでしょうが、ボクから言わせれば、彼女が言っている「個性」なんてのは、「個性派という個性」に過ぎないんです。個性がない子なんて、そもそもどこにも居やしないんですよ。

 …とか言って…「世界に一つだけの花」みたいでヤダな…(;一_一)



AKB48 目撃者