押井守論2(スカイ・クロラ再考) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「押井守論2」
スカイ・クロラ再考

 『うる星やつら』(オンリー・ユー、ビューティフル・ドリーマー)。『機動警察パトレイバー』(1、2)。『攻殻機動隊』、『アヴァロン』、『イノセンス』。最近、押井監督の作品を立て続けに見るということをやっていて、なんとなく分かってきたものがある気がします。

 そこで、例の『スカイ・クロラ』です。ボクはこの作品がやっぱりどうしても納得いかない。初見から時間が経ち、押井作品に対する理解も(それなりに)深まったところで、もう一度見てもやっぱり納得いかない。何が物足りなく感じたのか、少し探ってみることにしました。

 正直、脚本(≠原作)の出来は良くないと思います。それは度外視しましょう。映画に対する評価は、とかく内容的なものに対する評価になってしまいがちです(し、ボクもそうしがちです)が、今回は純粋に映像表現としてどうなのかということを考えてみます。

 もうひとつ、すべてを監督の意図に回収してしまう批評もボクはあまり意味がないと思っています。画面上で何が起ころうが、「それは監督の意図だから良いんだ」としてしまうならば、それは単に批判を封じてしまうだけのことになるからです。

1.キャラクターデザイン
 この作品で最初に気になるのは、キャラクターデザインです。のっぺりとしていて生気が感じられない。これで良いんだという意見もあるかも知れない。しかし、少なくとも魅力的に感じられないことは事実です。

 (すでにキャラクターが固まっていた)『パトレイバー』においてさえ、表現したい世界観に合わせてキャラクターデザインを変えていた押井監督です。(西尾鉄也氏による)このキャラクターデザインも意図的にこうなっていると見るべきでしょう。だけど、ホントにこの世界観に合っているかどうか…それはまた別の議論でしょう。ボクはむしろ、『イノセンス』の人形的人物造形を引き摺っているように思いました。

 そもそもCG部分とセル部分の解像度も合っているのかどうか…ボクは、彼には世界を融かして渾然一体のものとする能力がなくなってしまったのじゃないかとさえ思っています。これの一年前に作られた『攻殻機動隊2.0』なんてホントに酷かった。(CGとセル)両者がまったく分離している。あれは手抜きですよ。それじゃなかったら、作品世界を(首尾一貫したものとして)構築する能力がなくなったんです。

2.世界観
 世界観の問題は、もっとも深刻です。ボクはこの世界がちゃんと地に足のついた世界だとは思えない。もちろん、(ここでも)それが監督の意図だと言うことも出来るでしょう。

 この世界には彼の作品の象徴である鳥が出て来ません。これは色々と「読む」ことが出来ます。彼の作品において、「鳥」は(ボクの語彙で表すならば)「非日常、idealなもの、自由と空」を象徴するものです。一方、「犬」は「日常、現実、従順と大地」を象徴します。「魚」ってのもあるんですが、まあそれは良いでしょう。

 「鳥」が出てこないということ。これは一見、この世界が延々と続いていく日常の世界であるということ(「犬」のみの世界)を示しているように思えます。であるならば日常性についてのディテールが描きこまれてなければなりません。でも、この作品はそうはなっていないのです。むしろ、非日常が延々と続いていくような印象があります。この世界は云わば「鳥が見る夢」のように読むことが出来ます。非日常が日常になってしまった世界、「鳥」すらも「犬」になってしまった世界。

 まあ、こういう「読み」は正直どうでもいいんです。問題はですね…これはむしろ宮崎的想像力/創造力が必要な世界だってことなんですよ。

 押井監督がやってきたことってのは、ロケハンで撮影した写真をコンセプトフォトとして用い、その世界に説得力を与えるという方法です。『パトレイバー』における東京のどこか寂れた風景ってのも、そうして作られたわけです。あれは素晴らしい。『攻殻機動隊』でのアジア的な風景も(押井監督の)香港滞在時の産物です。コンセプトフォトを基に描いたイメージカットを挿入していくことで、その世界に説得力を与える。これが押井作品の世界に詩と彩、そして声なき言葉を加えていくものでした。

 だけど、『イノセンス』では既にそれは後退していました(それこそボクがあまりあれを評価しない理由なのですが)。あれはほとんど空想世界になってしまっている。地に足がついていないのです。「エトロフ経済特区」の場面なんて、画的には派手ですがほとんど説得力がない。地に足が付いていなければ、空だって飛べやしません。足の無い鳥なんて居やしないんです。たとえ空想世界であっても、その世界の中では地に足が付いている必要がある。それでなくては空なんて飛べやしない(空想世界に力を与えることが出来ない)んです。

 そういう観点から見ても、あの場面は、たとえば『千と千尋の神隠し』の幻想には遥か遠く及びません。ああいう能力、空想世界に力を与える能力(空を飛ぶ力)に関しては押井監督は宮崎監督にはまるで及びません。宮崎駿って人は天才です。それは絵作りのセンスもそうなんですが、なにより世界構築の能力が図抜けています。まあ、これはボクなんかが説明せんでも日本中の人が知っていることでしょう。

 その町の文化はどういうものか。文明の程度はどういうものか。木の文明か、石の文明か。宗教はどうか。たとえば石造りの家があったとして、その石はどこから切り出してくるのか。鉄の産出量はどうか。機械の工作精度はどのくらいか。植生はどうか。気候はどうか。町の人の収入はどうか。生活程度はどのくらいか。娯楽は何か。世界を構築していくってのはそういうことの積み重ねなわけです。

 もちろん、押井監督ってのもそういうのにこだわりそうな人ではあります。でも、それが絵に現れて来こないんです。まあ、もともと自分で絵を描く人じゃないですしね。たとえば、バーの場面(あるいは娼館の場面)。あれはボクはまったく説得力に欠けると思うんです。あれが実際にあそこに存在しているようにはどうにも思えない。あれはアメリカ映画に出て来そうなバーのイメージでしかありません。

 たとえば、あの赤い椅子。あれがどういう材質なのか、座った時の弾力はどうか。搬入されて何年か。どういう人があそこに座ってきたのか。どこの町で作られたのか。制作したメーカーはどういう設計思想を持っているのか。大量生産で作られたものなのか手作業で作られたものなのか。そういうのがあの絵からは一切見えてこないんですよ。地に足がついてないってのはそういうことです。

 無国籍なんだけど、どこか西洋風の家々も、ちゃんとそこに自律して立っているように見えないんですよ。文化を引き摺って立っているようには見えない。まるでプラモデルで作った世界のように見えるんです。なぜ、その辺にある日本家屋ではダメだったのか。バーじゃなく居酒屋だったらダメだったのか。結局、それもただの趣味の問題なのかも知れませんが、そういうものを描いたなら、まだ地に足がついた表現になった筈なんですよ。

 描いた人間の身についていないものってのは絵を見れば分かります(西洋人が浮世絵を描くようなもん)。バーだろうが居酒屋だろうが、きちんとその場所の空気を捉えていれば、しっかりとした絵になる筈なんです。この『スカイ・クロラ』に描かれた世界は、ボクにはただスカしているだけのダッサい世界にしか見えないんですよ。大体、戦況にCGが使われている時代なのに、なんでプロペラ機なんだ…(地に足がついてないので)そういう細かいところが気になってしまうわけです。

 先述したように、押井さんのリアリティってのは、コンセプトフォトに基づいていました。そこに写された街並みは、その土地の文化をどうしようもなく引き摺っているものです。しかし、いみじくも、宮崎さんが『パトレイバー2』を観た時に、「押井くんは東京に興味をなくしているんじゃないか」と指摘しているように、それ以降の押井さんは現代の東京、現代の街を舞台にすることはなくなってしまいました。

 空想世界においては、コンセプトフォトを用いて説得力を持たせることはできません。自分が引き摺ってきた文化を否定してしまった時、押井さんの作品からはリアリティが失われてしまった。リアリティの寄って立つところがなくなってしまった。そして、宮崎さんとは違い、押井さんには自らの空想世界を説得力のあるもの(リアリティのあるもの)として創造する力がなかった。今作では、宮崎的想像力/創造力が必要だったとボクが言ったのはそういうことです。

 逆に日常をリアルなものとして描く能力では、宮崎さんは押井さんには敵いません。あの人が描くものは全てが神話になってしまう。それが良くもあり悪くもあり…『風立ちぬ』ではそれがモロにマイナスに出ていましたけどね。それはともかく、押井さんは自分の強みを分かってないんじゃないかとボクは思うんです。押井さんが神話を描いたって仕方ないだろうと…それは宮崎さんに任せておけと。

3.空
 最後に触れておきたいのは空戦の問題です。ボクはこれを初見した時「空が感じられない」と書きました。それは比喩的な意味でもそう…つまり、この世界そのものの描かれた方、物語の進め方に空を感じない…ですが、もっと直接的な意味、空戦の場面に空を感じられないという意味もそこに含んでいました。それは何だろう。

 これは単純に制作方法の問題でしょう。押井さんはレイアウトシステムというものを用いています。『パトレイバー』で完成させ、『攻殻機動隊』にも用いられたのですが、レイアウト専門のスタッフを置き、演出の意図に沿った構図を設計することで作品の質を向上させることが出来ます。

 セルアニメってのは、基本的にはカットカットで見せていくものです。固定したレイアウトがあって、その中でキャラクターが演技をする。緻密に描かれる背景を動かすのは大変ですから、背景は固定しておいて、ベタ塗りのキャラクターの方を何枚も描いて動かしていく。もちろん、実際には色々な技術がありますが、基本的にはそういう構造になっています。実写におけるクレーンカメラみたいに、背景がぐるんぐるん回る映像をアニメで作ろうと思ったら大変なわけです。

 ですが、3DCGの登場によって、それが一変しました。3DCGってのは当然3次元のデータを持っていますから、一度作ってしまえば、あとはカメラの動きをシミュレートしてやるだけ(まあ照明の問題がどうとかはここでは置いておいて)で、どのような角度からでも見せることが出来るわけです。ですから、あとはカメラワークの問題になってきます。

 しかし、考えても見て下さい。押井さんはレイアウトシステムで成功を収めた人です。それは純粋に構図の問題です。つまり写真家としての能力が求められるものです。一方、カメラワークってのは動きの問題ですから、(もちろん重なるところはあるにせよ)これはまったく別物なんです。それは映像カメラマンに求められる能力と同じものです。

 押井さんはもともと実写出身であり、実写映画も撮っていますが、概してその評価は(アニメほどは)高くありません。それは彼が映像カメラマンとしての能力を持っていないということではないでしょうか。つまり、カメラの振り方を分かってないということです。実際、『スカイ・クロラ』においても、一時停止ボタンを押せば、画(構図)は決まっているんですよ。でも、動かして見ると面白くない。空を感じられないんです。

 空を感じられないもうひとつの理由。それはコックピットに風を感じないということです。 雨がコックピットを叩く音。フラップや翼表面の音。ボルトが軋む音…なんでも良いけれど、風や空気と飛行機がぶつかっている感じがしないんですよ。エンジンだって静かすぎやしないか? あのコックピットはあまりにも静かすぎる…

 押井さんはコックピットの内と外の対比ってのを良くやる人ですが、今回に限っては失敗でしょう。風を感じない…それが大空を描く映画にとって致命的だったことに気づくべきだった。ボクはそう思います。