評論について | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 アイドル誌、スクランブルエッグの編集長岡田氏がアップした記事の中に気になる表現がありました。ボクが最近よく話題にしているSKE研究生の記事です。前半部はかおたんに対する賛辞で、そこに関してボクがとやかく言うことはありません。かおたん「だけが」ってのはちょっと引っ掛かりましたけどね。それよりボクが気になったのは、最後の

ファンの方たちもときには厳しく、ときにはやさしく背中を押すようにしていただけると幸いです。 そして一人一人の個性がどうやったら出していけるのか、評論家のような立場じゃなくて親戚のような立場で後押ししてくれるとうれしいな、と思います。

 という部分です。これにはボクは、ちょっとどこじゃなく納得いかない。まったく、冗談じゃないですよ。(ボクは売られたケンカは買う主義です)
 
 彼は良いことを言っているつもりかも知れんが、言葉の中身はスカスカです。「親戚」ってのは、暖かい目で見守ってくれる「身内」です。ボクは、身内という原理を否定するつもりはありません。メンバーとヲタの距離が近いのが48の特徴ですし、そこには人間的な結び付きがあるでしょう。

 身内ってのは優しいものです。いつだって味方なのが身内です。これには良い面もありますが、悪い面もあります。悪い面ってのは、身内の場合、何でも許してしまって、とかく「なあなあ」で済ませてしまうということです。

 これは、まさに日本企業をダメにした原理そのものです。家族的経営で、会社と社員の結び付きが強くて、終身雇用で最後まで面倒を見てくれる。一面、これは素晴らしいものです。でも、なんでも「なあなあ」で済ませてしまって、企業全体がどうしようもない状態にまで落ち込んでいってしまうのもまた、この身内原理/家族的経営ゆえなのです。いま、政府が「社外取締役」を義務づけようとしているのも、まさに「外からの評価」が必要だと考えているからこそじゃないですか。

 48グループだって同じですよ。スキャンダルがあったってパフォーマンスがグダグダだったって、身内はかばってくれるものです。もちろん、それがあっても良いですよ。でも、それだけじゃあダメだって言ってるんです。ファンは身内として黙って応援しとりゃあ良いってのは、ボクには到底、受け容れられません。

 たとえば、ブラジルでは国民全員が代表監督であるとよく言われます。それくらい、みんなブラジル代表について一家言もっている。それがまさに「文化」だってことですよ。評論を否定してたら文化なんか培われんのです。誰からも評論されないものなんざ、文化としては死んだも同然です。

 それに、運営ならばともかく(それでもボクは納得しませんけど)、記者がヲタの評論を封じようってのはどういう了見ですか。ネット時代においては、誰もが記者でありえるし、誰もが評論家でありえるのです。「公式」かどうかなんてのは実はほとんど問題じゃない。

 なぜなら、48グループってのは、既存のメディアを介さないメンバーとヲタとのリアルタイムな結び付きこそが根幹だからです*1。ネット上の話題があっという間にメンバーに拾われて、それにまたヲタが反応して、というスピードで両者が話題を共有していくから、既存のメディアは全然そのスピードについていけない。そのスピード感こそが、いまの48グループを支えているものです。
*1.(説明する必要もないですが、いわゆる「ヲタ繋がり」とは別の話ですよ)

 そして、それこそがまさにかおたんがやっていることですよ。ネット時代の申し子であるかおたんを持ち上げておいて、その同じ口でヲタの評論を封じようなんて、ちゃんちゃらおかしい。岡田氏が、自分は編集長という立場で評論しておきながら、ヲタの評論を否定するのならば、それは単なる古びた権威主義/特権意識以外のなにものでもありません。(あなたはホントに48を理解していますか?)

追記:
 (ファンはファンでファンなりにグループのこと/研究生のことを考えて発言しているんですよ。それ自身外部に過ぎない記者って立場が、いったいどういう資格でメンバーとファンとの間に割り込もうとしているんだっていう…。それが何よりカチンときたですよ、ボクは)

以上