through the night 1 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 最近、また48グループがきな臭くなってきました。そして今でも、狂ったやつが「人権侵害」なんて抜かすのを目にします。これはボクの戦いですから、何度でも反論を書くでしょう。今回は、より戦略面に重点を置いたアプローチになります。

1.ジャンル、あるいは差別化

 現代では、「写真ってのは対象をありのままに写すものだ」と誰もが思っています。しかし、19世紀末には「ピクトリアリズム」なんてものがあって、(合成などを積極的に用いて)絵画のように画面を構成することがもてはやされていました。

 20世紀に入り、「写真のアイデンティティは何だ?」ってことを考えた時に、ストレート写真というものが出てきて、それが現在のボクらの写真観の原型になっています。一方、絵画は絵画で、それと時を同じくして抽象画の方に舵を切っていきました。写真は対象に寄り添い、逆に絵画は対象を喪失した。両者は棲み分けた訳です。

 もちろん今でも、ピクトリアル(絵画的)な写真ってのはあるし、逆に写実的な絵画ってのもあります。でも、歴史に残ったのは、それらではなく、棲み分けに成功した作品たちでした。他のメディアとの差別化を図り、自身のアイデンティティを追求したものの方が強かったという話です。

(もちろん、その境界線を疑うような作品群ってのもあって、それこそが芸術だと思われている節もあるのですが、それは境界線が確定した後の話であって、境界線そのものが存在しないなら、それらも芸術としては成立しないでしょう)

 アイドルの場合も、基本的にはこれと同じことが言えます。若くてかわいい子なら、そこら辺にいくらでもいる(りょうはだって一年前は普通の子だったんですから)。事務所に所属しているだけなら「タレント」ですし、パフォーマンスやダンスだけなら「ダンスグループ」です。では、なぜ彼女たちは「アイドル」なんてものでありえるのか、理由はたったひとつ。彼女たちは、その「人間性」を一部犠牲(恋愛禁止)にして、「聖性」を帯びているからです。

 その「聖性」こそが、アイドルの「アイデンティティ」であり、また同時に一種の特殊能力みたいなもんです。これによって、あまたのアーティストやらパフォーマーに立ち向かっていくことができます。それによって差別化しなかったら、いったい他の何で差別化できるというのですか。

(じゃあ、さっしーはどうなんだって話になるかも知れませんが、何度も同じことを書くのはメンドくさいので、こちらをご覧ください→http://blogs.yahoo.co.jp/flowinvain/32877963.html

つづく