アンドレアス・グルスキー展 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


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 そういや、グルスキー展に行って来てたんでした…1か月くらい前に(^_^;)>



「写真的絵画/絵画的写真」

 パターン化された全体の構成と細部への興味、コントロールされた全体と細部に宿る偶然性が彼の「作品」の本質です。そして、作品そのものの巨大なサイズによって両者をひとつの画面に収めます。離れて見れば画面全体の構成が目に入り、近寄って見れば細部が目に入るのです。

 画面全体の構成と細部に宿る偶然性は、写真と絵画を切り分けてきたものでした。合成や加工を用いて、まるで絵画のように画面全体を構成しようとしたピクトリアリズムの試みを経て、ありのままに対象を写すというストレート写真が写真のアイデンティティとして確立されたのです。

 一方、細部の緻密さは写真を特徴付けてきたものでした。かつてエドガー・アラン・ポーは、絵画を拡大すると対象が消え去るのに対し、写真はどれだけ拡大しても対象が消え去らないと感嘆したのです。この細部はまたロラン・バルトが「プンクトゥム」という言葉で説明しようとしたものでもありました。彼は写真家がコントロール不能な細部の偶然性こそが写真の本質だと考えたのです。

 グルスキーはデジタル操作さえ用いて画面を構成しようとします。しかし、操作の痕跡は完全に消え去り、パーフェクトに構成された画面がそのまま細部の偶然性に結び付いています。パターン化された図像のその細部を丹念に調べてもまるで破綻をきたさないのです。

 無機的なパターン構造を持ちながら、その細部には有機的な差異が宿っています。画面の構成においてはまるでオールオーバーの抽象画のようでありながら、細部の偶然性においては極めて写真的である。グルスキーの作品が「写真的絵画/絵画的写真」と云われるのは、そんなところに理由があるでしょう。



 …っていう発表をしました(笑)