アイドルにおける「私らしさ」 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「アイドルにおける私らしさ」

 最近、48グループ内に気になる傾向があるように思います。

 ある子は、「お説教もアドバイスもいらない。わたしはわたしらしくやっていく」、またある子は、「どんなときも私らしく、周りに惑わされることなく暮らしたい」…。メンバーのこうした発言がネットを飛び交っているのです。

 この背景にはひとつ理由があって、どうやら「説教する人」ってのがいるらしいんですね。まあ、人格攻撃や誹謗中傷、圧迫面接みたいなものにはボクはキレて良いと思いますが、「説教」と「アンチ」は違いますよね。耳ざわりの良い言葉しか聞かないのでは、裸の王様と同じです。

 秋元さんは「アンチを糧にせよ」と言ったわけですが、それは功罪あって、耳に痛いことはすべて「アンチ」として処理してしまうという風潮が、ファンの間だけではなく、メンバー内にも生まれているような気がします。そして、「私らしさ」という言葉で、それに対してガードしてしまう。

 「私らしさ」「個性」というのは、現代においては、とても耳ざわりの良い言葉です。あたかも、それが最上の価値のように思えます。だけれども、それは時に、アイドルという観念と衝突するものです。

 アイドルは「偶像」ですから、人びとの「こうあって欲しい」という願いを自己に投影します。「私らしさ」どころか、むしろ「滅私」のような側面があるのがアイドルという存在です。

 だからこそ、人権活動家みたいな連中に叩かれることがあります。「個性をスポイルしてるんじゃないか」と。でも、それこそがまさに、アイドルのアイドルたる所以なんです。それがイヤならば、歌手でも女優でもモデルでも芸人でも、好きなものになればいい。それでやっていけるんだったらね。

 アイドルというのは、ドラクエの勇者のようなものです。歌では歌手にかなわない。演技では女優にかなわない。ルックスではモデルにかなわない。トークでは芸人にかなわない。ただ、唯一、人びとの願いをその身体に纏うことで(聖性を帯び)、「アイドル・ブースト」がかかって、信じられないような引力を発揮することができるのです。

 たしかに、AKBはアイドルを民主化しました。色々なメンバーがいるのがAKBの魅力でもありますし、より「個性」が重視される時代を反映しているとも言えます。でも、アイドルである以上、個性100%でやっていける筈もないのです。だって、それでやっていけるのなら、衣装も髪色も恋愛もすべて自由な筈じゃないですか。

 だから、ここで「私は私らしくやっていく」と言ってしまうと、それはアイドルとしての自己の否定になってしまいます。

 もちろん、アイドルだって、あらゆる人の意見や願いを聞けるわけじゃありません。相互に矛盾する意見もあるでしょう。だから意見の奔流に呑み込まれてしまわないように、「自分らしさ」を保つってのは、アイドルにとっても、とても大事なことです。

 でもね…「私は私らしくやっていく」と言ってしまうのは、全ての「経路」を断ち切ってしまうということです。そう言ってしまった瞬間に、こちらも「あ、そうですか。じゃあ、どうぞお好きにやってください」となるしかない。その子は、人びとの願いを反映する経路を自ら断ち切ってしまったことになるのです*1。

 その子はもはや、アイドルではありえません。だって、人々の願いを映さないんですから。その子はいまや、タレントとして、自らの「能力」で刈り取れる分しかファンを獲得できないでしょう。もう、「アイドル・ブースト」はかからないのです。

 *1.(つまりね…すべての人の意見を聞く必要はないし、またそれに流される必要もないけれど、チャンネルはつねにオープンにしておきなさい、ということ)

 以前、ある人が「渡辺麻友のファンって女の子に夢を見てるみたいでイヤ」と言っていました。だけど、それこそがアイドルの本質なんだとボクは思っています。つまり、夢を見ること、夢を見させること、同じ夢を見ること。ファンとアイドルの夢が一致したとき、アイドルは最大の力を発揮します。

 アイドルの夢はひとりで叶えるものじゃない。いつだか、梅ちゃんが、「私の夢はここにあります」って言ってくれた時、ボクは、とても嬉しかった。