現状分析の試み(考えの整理)
いまの社会は「閉じられた社会」である。地球上にもはや人類が征服できる土地はない。拡大が不可能だということは、資源の量もまた増えないということを意味している。いま、人類社会は限られた資源の分捕り競争に突入した(とりわけ中国はそのことに自覚的な国だろう…かと言って「中国人全部がそうである」と見なすのは早計なんだけれど)。
また、国内的にも社会は少子高齢化の時代を迎えた。人口は下降の一途を辿り始めている。経済はすでに「自然成長」を止めた。企業活動にしろ就職活動にしろ、いまや、新しい何かを産み出すよりは、限られたパイを奪い合うマインドが支配的になっている。
こうした時代の精神を反映したものが、(バトル・ロワイヤルをはじめとした)「サヴァイバル系」である。それは、ある意味では現状肯定主義とも見なせるだろう。社会が生存競争に突入したということに自覚的になった上で、そこに積極的に参加していくという思想だからだ。
これに対する対抗概念として「セカイ系」が挙げられる。これは、ある意味では「引きこもり」思想と言われる。世界(セカイ)の中間項としての社会から目を背けることがこの思想の特徴である。
物語の主人公(ぼく)と、彼が思いを寄せるヒロイン(きみ)の二者関係を中心とした小さな日常性(きみとぼく)の問題と、『世界の危機』『この世の終わり』といった抽象的かつ非日常的な大問題とが、一切の具体的(社会的)な文脈(中間項)を挟むことなく素朴に直結している作品群
限界小説研究会「「セカイ」状化する世界に向けて」
『社会は存在しない:セカイ系文化論』2009
社会から目を背けるということは、現状否定主義と見なすことができる。社会が生存競争であるということにコミットしないということが、この思想の本義となる。現状にコミットする立場からこれを見ると、この思想は脱走兵や逃亡兵のそれと見なされるだろう。
しかし、一方では良心的兵役拒否という言葉もあるように、物事には表裏がある。生存競争(闘争)にコミットしないということは、ある意味において、それ以外の解決法を模索することに他ならないのだ。
このことを端的に表しているのが「大長編ドラえもん:のび太と雲の王国」の次の逸話であろう。黒の王国と赤の王国と青の王国が、白の王国に攻め込んでくる。白の王は戦うことを潔しとせず、民を引き連れて逃げ延びることを選択する。もはや行き場がないと観念したその時、宇宙から何かがやってきて、雲の上に彼らが住めるようにする。白の王は雲の上に新しい王国を築く。
ここで注目すべきは、白の王国の民を雲の上に導いたものが、「宇宙」からやってきたということであろう。それは「外の状況」(赤、黒、青による戦闘状況)の、「もう一つ外の状況」(宇宙)が白の王国を滅亡から救うということである。
こうした「外の外の状況」に対する想像力がセカイ系の原点をなす(そういう意味において、「ドラえもん」は、まさにセカイ系の源流のひとつと見なしても良いのかも知れない)。セカイ系の作品に、宇宙に言及するものが多いということが、まさにそのことを証している。言い換えれば、サヴァイバル系の「世界」が(ほぼ)社会と同義であるのに対し、セカイ系の「世界」は、より普遍的なものを指している。