写真徒然16<均質化> | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 レンズは、その対象を均質化する。それがたとえば、虚構の世界だったとしても。

 デジタルというのは、それ自体がすべてを均質化するものだ。ある画像が、現実を写したものであれ、PC上で描かれたものであれ、デジタル・データとしては、それらに何ら差異はない。たとえて言うならば、同じ言語でファンタジーもノンフィクションも描けるということと類比的だ。デジタルの世界においては、虚構も現実も等しく「存在」する。

 かつて、レンズは物理的なもの、物理世界(現実)に属するものだった。したがって、それが映し出す対象もまた、物理世界(現実)に属するものだった。しかし、デジタル時代においては、レンズの機能をシミュレートすることが出来る。そしてその「レンズ」は、デジタル世界そのものを映し出すことが出来るのだ。

 それは、原理的な次元において差異のない虚構と現実のデジタル・データを、視覚の次元においても等価なものとして扱う企みである。元来、物理的な対象を映し出してきたレンズを通すことで、そこに映された対象に「存在」という響きが与えられる。ボクらには、「レンズを通して見るものは、確かに存在する」という刷り込みがあるからだ。

 原理的にも視覚的にも等価に扱われるということ。それはすなわち、ボクらの想像力において、それらが等しく「存在」するということに他ならない。想像は実現(現実化)されることを欲する。かくして、現実は、すでに1度シミュレートされたもの(ハイパーリアル)となる。

 ボクらの想像力によって、虚構は現実に存在するものとなる。アニメにおける「聖地巡礼」という現象は、こうした観点から理解できるだろう。実際、(聖地巡礼の起爆剤となった)京都アニメーションの制作するアニメには、レンズの効果が非常に効果的に用いられている。