格差 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「格差」


1.松本清張

 松本清張が好きだ。それがなぜかは、自分でも良く分からないんだけれど。松本清張という名前がついていると、どれほど下らなそうなドラマでも見てしまう。

 彼の作品に描かれるのは、人が生まれつき背負っている、どうしようもない業のようなもの。どれだけ努力しても、どれだけ故郷を遠く離れても、生まれ育った環境から、人は逃げることができない。

 だから、その作品中で起きる事件も、突き詰めていくと社会的不正義(多くの場合は貧困)のようなものに行き着く。松本清張の作品に生まれつきの悪人はいない

 貧困問題、格差社会がクローズアップされつつある現代の日本において、その作品の重要性が再認識されつつあるのかも知れない。でも、その一方で、本当に貧しい国々に比べれば、日本はまだまだ恵まれているともボクは思う(もちろん、だからと言って「格差なんて放っておけば良い」とか言いたいわけじゃない)。

 彼が信奉する共産主義が失敗したのも、つまるところ、「先進国」は資本主義でそれなりに豊かになってしまったからだ。彼の作品に描かれているような、昭和初期の貧しさは現代においてはリアリティが薄くなってしまった。

 だから、設定を現代に移してドラマ化される場合、そうして薄くなったリアリティを補うために、なにか別のところに(事件の)原因が求められることがある。それが例えば一時の感情とか性格とか、個人の責任に収斂されうるものだったりすると、ボクは「あ~あ、この脚本家は分かっとらんな」と思う。だったら、松本清張なんてやる必要ないじゃない。


2.格差

 生まれつき背負ったもの。貧困問題は再びクローズアップされるようになったものの、現代の日本においては、まだまだリアリティが薄い。「勝ち組/負け組」なんて言葉が、能天気な流行り言葉として扱われるのは、まだまだ貧困問題や(移民などの)差別問題が、日本では表面化していないからだ。

 (自分より「上」の階層に対する嫉妬と不安を、自分より「下」の階層を見出し、時には拵えることによって解消するという構図は、いにしえの昔から変わらないのだけれど)

 そういうものが表面化している国々では、こんな言葉はおいそれとは使えない。たとえば、アメリカの裕福な白人が貧しいヒスパニックに向かってそんなこと(「you are loser!」)を言ったら、ぶん殴られたって文句は言えない。むしろ、それは反転して社会的不正義を訴えるための言葉になるだろう。

 生まれつきどうしようもないもの。環境において大差のない日本においては、それはまだ遺伝子レベルの話(たとえば容姿とか)に収斂されるのかも知れない。

 ある先生が、こんなことを言っていた。「たしかに、容姿が抜きん出ている女の子はいる。実際のところ、そういう子は放っておいても生きていけるだろう。本人もそれを分かっているから、なかには不真面目な子もいる。だけど、そういう子の周りにいる子は同じわけにはいかない(だから、教育者としては困りものの時もある)」

 また別のある時、ある女の子が街のビルボードを眺めながら、ふと、「(自分が)武井咲みたいな顔だったら、人生、違ってたのかな~」と嘆息していた。その子は、『けいおん!』の平沢唯ちゃんみたいな子で、ボクは大好きだし、何と言うのかな、全然かわいいとは思う。

 でも、彼女が言いたいことも良く分かる。たとえば、「サッカーが上手い」って言うのも、学校の中で「サッカーが上手い」ってのと、メッシーが「サッカー上手い」ってのとでは、言っている意味が全然ちがう。

 それは、たぶん、これまで生きてきた彼女自身がいちばん良く分かっている。だから、ボクは何も言えなくて、思わず、「オレ、武井咲にハマッたことないわ」とか口走った。まあ、それは事実なんだけど、でも、それって全てをフラット化してみせることで、本当はある筈の「格差」をなかったように見せているだけ。何の解決にもなってない。

 いや、もちろん、何かの解決を求められていたわけではないことも分かるんだけどね(ボクはサイテ-だ)。


3.アイドル

 まあ、それはともかく。なんでこんなことを書いているかと言えば、↓こんな下らない記事を見かけたから。



AKB篠田さん、カワイイ区長退任 「差別助長」指摘で(朝日新聞)



 貧困問題ならばまだ格差の是正は可能だろうけれど、遺伝子の問題はそうはいかんわけだから、このフラット化は、実はまやかしだ。

 フラット化してみせることで、本当はある筈の「格差」を、あたかもそこにないものであるかのように見せる。それって、何の解決にもなっとらんのじゃないかとボクは思う。努力したって埋められない格差がある。それは確かに事実だ。ボクはそこから目を背ける積もりはない。でも、努力しなきゃ何も始まりゃしないんだ。

 アイドルは、自らの意志で、輝きを追い求めていく。そこから発せられる光に抵抗することは、少なくともボクには出来ない。それは単に「格差の肯定」という次元の話に留まらず、もっと普遍的なもの、たとえば「努力」とか「夢」とか、そういう地平を切り拓いていく。アイドルとは、そういうものだとボクは思っている。




SKE48 チームKⅡ

曲ありver→http://v.youku.com/v_show/id_XMzk4NzY3NjA4.html(中国語サイト)