これは当初、アイドル関連の記事の一部として書いていたものですが、あまりにも浮いてしまいそうだったので、この部分だけ独立させました<(__)>

「あなたは幸せになるべきだ」という言明は、多くの場合、「幸せ」というものが、その言明をなした当人自身の価値観でしかないということを忘れている。つまり、実際には、この言明は、「わたしが幸せである(と感じるのと同じ)ように、あなたも幸せになるべきだ」というものであるということを。「幸せ」というものが何か絶対的なものとして、何処かに固定されて存在してでもいない限り、この言明は必然的に、「あなたは、わたしと同じ価値観を持たねばならない」という意味をその内に含んでいるのだ。
それはもはや、新興宗教の勧誘と大差ない。ましてや、当の本人は大まじめに相手のためを思っている積もりだから、なおのこと始末が悪い。実際には、その言明は相手に対する、そして相手の信じる価値観に対する侮辱でしかないのだけれど。なぜならば、その言明は、相手を自らの価値観に引きずり込んだあげく、「わたしは幸せで、あなたは幸せではない」という優越感をその内に滲ませているのだから。ボクは、これはもはや「人間の尊厳」の問題だと思う。本来、最終的に何が幸せかは本人が決めるしかない筈だ。
だけど、人間というのは愚かなもので、自分(というのは共同体)の中に「異物」を見つけては、それを排除することで、「幸せ」を買おうとしてきた。村八分/魔女狩り…そして嫌韓、ユダヤ狩り。驚くべきことに、ユダヤのゲットー送りも、その当初は「彼らの安全のため」という名目のもとになされた。
そもそも、「幸せ」というものが一種類しかないなんて、もの凄く気持ち悪い世界じゃないかとボクは思うし、実際にはそんなものは幻想でしかない。というか、ファシストと共産主義者の失敗のあとで、良くそんな感覚を持っていられるものだと思うよ。「古き良きアメリカ」ってのも「赤狩り」の上に成り立つ幻想でしかなかった。
(ボクからすれば共産主義者もファシストもナショナリストもジェンダーフリー論者も、使っているツールが違うだけで、やっていることは同じように見える。それはすなわち、「大きな物語」を共有せよという圧力。だからボクは、彼らの敵になることを決めた。そこには右翼も左翼もない。これは、「価値観の多様性を信じるもの」と、「世界中が同じ価値観を共有すべきだと信じる勢力」との間の戦いだ)
「あなたは幸せになるべきだ」という言明が何か価値を持つとすれば、それは言明をなした<当人>と、<あなた>の間に、「幸せ」というのが何かについて、コンセンサスがとれている場合のみである。それ以外の状況では、この言明は著しく有害であるということを肝に銘じておくべきだ。