
「アニメと写真に関するetc」
近年、フォーカスやボケ、白とびやディストーション、あるいはフレアやスミアなど、写真的(フォト・リアリスティック)な表現がアニメに用いられています。しかも、こうしたアニメは、現実的(写実主義)な表現とはかけ離れた、いわゆるアニメ絵のものが多いのです。
つまり、ここではアニメ的な表現とフォト・リアリスティックな表現が共存しています。もちろん、これはモデリングとレンダリングを分離できるCG技術(つまり、アニメ絵のモデリングとフォトリアリスティックなレンダリングの併用)によって可能になった事態なのでしょうが、アニメにおけるフォト・リアリスティックな表現は、どういう効果を持っているのでしょうか。
追記…ちと修正
モデリングとレンダリングを分離できる…さらにオブジェクトのモデリングと、光源や撮影環境のモデリングが分離できるCG技術によって、可能になった事態。すなわち、アニメ絵モデリングと写真的レンダリング(ないし写真的光源/撮影環境モデリング)によって可能になった事態。
写真術は、もちろん人間の視覚を再現しようと試みているものですが、視覚とイコールではありません。レンズの特性、フィルムや撮像素子の特性/ノイズなどによって、写真的なフィルターが構成されるのです。つまり、それはあくまでも写真的な視覚です。
したがって、写真はそれ自体、写真的なフィルターをかけた描写(図像)なのですが、他方、そのインデックス的(≒痕跡的)特性によって、存在の証拠とみなされます。我々の目は、いつしか、それに慣らされ、我々の文化の中で、写真的なフィルターそれ自体が、(それは実はインデックス性とは異なるのですが)存在の証と見なされるようになりました。言ってみれば、我々の感覚は、「写真(的なフィルター)があれば、そこには何かが存在する」という刷り込みを受けてきたのです。
こうして、写真的なフィルター(フォト・リアリスティックな描写)によって、絵が存在へと転化される素地が築かれたのです。つまり、アニメにフォト・リアリスティックな表現が用いられるということは、(そのアニメがいかに現実世界と異なっていたにせよ)、我々に対して、そのアニメの世界、その登場人物たちを、「そこに存在せしめる」効果があるのです。