「衆院選2012<1>メリット/デメリット」
2012年12月4日。第46回衆院選が公示されました。
テレビを見ていて気になったのが、ある候補者の街頭演説の発言でした。その人は、脱原発さえすれば、景気も何も全て良くなる。日本の未来はバラ色だというような言葉を連呼していました。ぼくは、「それは嘘だろう」と思うのです。もちろん、ボク自身は(数はともかく)原発維持に賛成の立場ですから、こうした発言に違和感を覚えるのは当たり前のことかも知れません。しかし、ここでボクが言いたいのは、そういう次元のことではなく、その訴え方の問題です。たとえば、「原発さえ再稼働すれば万事OKになる」と言われたら、それもまた変に感じることでしょう。あるひとつのもの(=悪)さえ無くなれば、それですべてが上手くいく(それはボクの言うところの「悪という思想」です)、あるいは、あるひとつのものさえ進めれば、それですべて上手くいく。このような議論をする人をボクは信用できないのです。
あの原発事故で何を教訓とすべきかについて、色々な考えがあるでしょうが、ボクは何より、目を瞑ってしまったことだと思っています。「原発は安全だ」ということを言いたいがために、(政府&電力会社&ぼくら自身は)自分たち自身をも欺いたあげく、必要な安全対策を怠るようになってしまったのです。ここで必要だったのは、メリット/デメリットをしっかりと見定め、それを全てオープンにし、その上で選択してもらうことだった筈です。もちろん、原発導入当初からエネルギー政策は「結論ありき」だったと考えることもできるでしょう。しかし、それでもなお、メリット/デメリットを全て明らかにし、それを認めた上で「それでもなお、メリットが上回るから、我々は原発を推進する」と説明すべきだったとボクは思うのです。
もっとも、この「メリット/デメリット」の比重は、人によってそれぞれ異なります。原発によって恩恵をこうむる人ならば、その恩恵のこうむり方によって、メリットの捉え方が変わるでしょうし、たとえば現在のように、原発事故のせいで家に帰れないような人の場合にはデメリットが他のファクターを圧倒するでしょう。このメリット/デメリットというやつは、受け取る人の文脈によって(たとえ同じデータを見たとしても)様々に解釈が異なってくるわけです。
一方で、我々の多くは、原発事故後も何も変わらないような日常を送っているように(一見)見えます。それこそ、ボクは本質的な問題だと思っているのですが…それはつまり、こういうことです。本来は変わってしまった筈なのだけれど、ボクらは、いつしか、それに慣れていってしまった。いや、むしろ、それに慣れていくために、原発事故があったにも関わらず、そして、原発が2基しか動いていないにもかかわらず、惰性的に以前と同じような生活を続けていると言ってもいいかも知れません。ボクらは、あの春の日、放射能混じりの雨を浴び、そして、原発が火力によって代替されることで(国全体の貿易収支が赤字になるほど)燃料費が跳ね上がり、さらにCo2の排出量が増えても、これまでと同じ生活を続けていけるように感じてしまうのです。
これは、反面、我が国の社会システムが非常に高度で優れたものであることを示しています。あれほどの大災害のあとでも、多くの国民は同じように生活を続けることが出来ている。あるいは、一見、そのように見えている。しかし、その一方で、被災地の惨状、遅々として進まない復興、未だ帰還の目処もつかない人々…心の傷。じわじわと企業や家計を圧迫していく電気料金。「普通の日常」の裏には、底知れないような奈落が口を開けています。その間に横たわるギャップが強い違和感となって、ボクの心を覆います。まるで、ボクらの多くにとって、原発問題とは未だそのような感情的な問題ででもあるかのようです。しかし、それはやがて現実的な問題となって襲いかかってくる。そんな予感は、「原発推進派」(今や「維持派」と言い換えた方が良いかも知れませんが)も、「脱原発派」も同じように抱えているものなのかも知れません(もちろん、その「現実」なる言葉が意味するものは、その両者では異なるのでしょうが)。
だからこそ、メリット/デメリットを見定めて、それを全て明らかにし、その上で選択すべきだとボクは思うのです。(こういう二項対立はまやかしですが、仮に)たとえ経済がガタガタになり、失業者が増大し、そして自殺率が増えたとしても原発を止めたいと言うのならば、それもひとつの選択です。かたや、たとえ再び事故を起こし、2度と住めない土地が増え、日本という国がボロボロになり、あるいはそう言わないまでも放射性廃棄物を出し続けたとしても原発を維持したいのなら、それもまたひとつの選択です。どちらを選んでも、何らかのデメリットがあるのは当然のことです。それだからこそ、そのデメリットを軽減するために最善を尽くすべきなのです。それはデメリットに目を瞑っていては出来ないことです。このような理由で、バラ色の未来なんてものじゃなく、最悪の事態を想定し、それでもまだ、その選択肢を選ぶべきだという人をこそ、ボクは信頼したいのです。
つづく