ボクがなぜここに。(1) | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)



『ムジナ~ニャ』

ボクがなぜここに居るのか。なぜ、この町なのか。

 ムシナ。この町はやや特殊な事情を抱えています。それは次回で説明しますが、思い返してみれば、以前に滞在したベルファスト(BF)も特殊な事情を抱えた土地でした。帰属を巡る政治的な対立、陰惨なテロの歴史。シリーズ記事にしたカトマンズも(これは大都市が抱える普遍的な問題ですが)不法居住者の強制退去という事情がありました。ボクはなぜだか、そうした街に惹かれてしまう傾向があるようです。

 別にそうした街に「不幸」の烙印を押し付けたいわけではないのです。何が幸せかはその人にしか決められないものですし、たとえば「不幸の情景」や、あるいは「苦難な状況においても逞しく生きる人々」といったようなものとして、このシリーズを提示したいわけではありません。ボクのブログは報道ではありませんし、ましてやGSVはすでに切り取られたものです。

 かと言って、それらの街を逆に美化したいわけでもないですし、出歯亀的な好奇心とも違うように思います。もちろん、それらは少しずづ要素として含まれているのかも知れませんが、それよりはむしろ、ボクらの目の前にある様々なフィルターの存在を浮かび上がらせるために、こうした街を取り上げると言った方が近いのかも知れません。

 日本でも震災後の東北の町などがGSVに上がっていますが、それを取り上げる気にはなれません。それはおそらく、近すぎるからなのです。ボクらはその光景に含まれる文脈の内に生きているわけで、それを取り上げる場合、どうしても様々なものが引き込まれてしまいます。そのために見え辛くなってしまうものもあるでしょう。

 遠くから眺めることによって、たとえばベルファストでは「ナショナリズム」、カトマンズやムシナでは「貧困」、そして、ナショナリズムや清潔という概念に伴う「排他性」といったものが浮かび上がります。ボクはそれらを良いとか悪いという視点で捉えるのではなく、もっとありのままに捉えることで、ボクらの現前に潜む問題の相対化を図りたいのです。

 しかしながら、繰り返しになりますが、そうした「問題意識」のみでボクはここに居るわけではありませんし、何かそうしたものとしてこのシリーズを見て欲しいというわけでもありません。

 青い空、まっすぐな道、くたびれかけた看板、無邪気な子ども達の姿。あるいはボクらの記憶を刺激するような種々のもの。ボクらの日常と彼らの日常。違うこと同じこと。それでも人が人であること。それをそれとして提示したいってのが何よりボクがここに居るわけ…なのかな。

つづく(次回はムシナという町の事情をお話します<(__)>)