悲しいお知らせ2~世界最悪の修復に関するetc.~ | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


『悲しいお知らせ2~世界最悪の修復に関するetc.~』


 まず問題になるのは、許可があったかどうかということでしょう。おばあちゃんは「許可があった」と言っていますが、「センター」の広報担当は「80代のその女性は誰からも許可を受けることなく行動した-the Sun」と述べています。(センターと教会との関係がいまいち分からないのですが)さて、実際のところはどうだったのでしょうか。

 BBCに掲載されたインタビューによると、おばあちゃんは「司祭は知っていた」ということを連発しており(司祭は知っていたわ!彼は許可したのよ!誰がこのようなことを許可なしで出来るの?彼は知っていたのよ!)、また、別のところでは「司祭は知っていたし、教会の中に入ってくる人は誰でも私がしていることを見ることができた-the guardian」という主張をしているので、どうも、おばあちゃんの中では、「白昼堂々と行っていたから、私がしていたことをみんな知っている筈→知っているのに止められなかった=許可された」という論法になっているようです。

 したがって、公式な許可はなかったというのがやはり自然な解釈でしょう。文脈から切り離してこれだけを見るならば、「何て自分勝手なおばあちゃんだ!」って話になるかも知れませんが、話はそう単純ではないようです。この町は人口5千人のボルハ(Borja)であると伝えられていますが、実際には、さらに3kmほど外れたサントゥアリオ・デ・ミセリコルディア(Santuario de Misericordia)に教会があります。→http://goo.gl/maps/xtp8P

 おばあちゃんの家は教会の近所にあり、近隣の住民と教会との関係は、日本人の僕らが想像するものよりもずっと身近なもののようです。「私たちは何か落ちるのをみたらそれを直してきた-NBC」とおばあちゃんは言います。「ここでは、私たちは、いつも自分たち自身であらゆるものを直してきたのよ-INDEPENDENT

 実際のところ、おばあちゃんをはじめとする地域のコミュニティは教会と一体になっており、自分たちの古ぼけた教会で何かが壊れたら、自分たちでそれを直すということが自然に行われていたのでしょう。このこと自体には、何ら問題はありません。むしろ美しい行為と言っても良い。だからこそ、欧米においてこの話は好意的に捉えられているのだと思います。(彼らの多くはDIY=Do it yourselfという言葉でおばあちゃんの行為を現しています)

 しかし、元の壁画を描いた画家の孫娘が言うように、「これまで彼女はただ(壁画の)チュニックだけに手を出してきました。しかし、彼女が同様に頭部も塗り始めたことから問題は始まった」のです。「彼女はこの壁画を破壊してしまいました-NBC

 ここで気になって来るのは、元の壁画の価値ですが、それは大したものではないでしょう。ある指摘では、(ボクの好きな)Guido Reniの同主題に影響を受けているようです(うむ、確かに)。まあしかし、実際のところ元の壁画に価値があるかどうかは大した問題ではありません。今回の出来事は(前の記事でも指摘したように)教会の壁画という連綿と受け継がれてきた伝統におばあちゃんの酷い画が一撃を加えたことに衝撃があるのです。

 さて次に問題になってくるのは、おばあちゃんの技術です。この出来事を調べている内に、ある記述にぶつかりました。おばあちゃんはこう述べているようなのです。「(これまで)4部屋の展示会を行い、40枚の絵を売った-INDEPENDENT」…また、絵を教えていたという情報もあります。

 一体、これはどういうことでしょうか。この出来事が(控えめに言って)面白かったのは、「地元のおばあちゃんが純粋な善意で修復を試みたけど、あまりにも絵が下手すぎて悲惨なことに…」という筋書きがあったからです。彼女が本当は絵が上手かったのだとしたら、これが意図的になされたのだとしたら、全ての前提は覆ってしまいます。彼女の言っていることは本当か、それとも…

 もうこうなると原文に当たるしかありません(とは言ってもスペイン語は読めないのでGoogle翻訳で英語に直してから訳しています。スペイン語からダイレクトに日本語に機械翻訳をかけるより精度は高い筈ですが、責任は持てません<(__)>)。

 そして、とあるインタビューで次のように述べているのを見つけました。「私は絵を描くんです。子どもの頃から学校で展覧会を開き、そして沢山の絵を売ってきたんです 」 …どうやらこれが正解のようです。つまり日本で言う文化祭のようなもので展覧会を開いたり、絵を売ったりしてきたということなのでしょう。(英語だと、Paintする人[=絵を描く人]はPainter[=画家]になるので、日本の報道などで彼女が自称「画家」だとされているのは、これくらいの意味だと捉えた方が良さそうです)

 とは言え、(専門的な教育を受けた職業画家ではないにせよ)彼女がずぶの素人ではないというのは本当のことのようです。まあそれは、これを見れば一目瞭然なのですが…→http://es.tv.yahoo.com/blogs/blog-de-tv/cecilia-gim%C3%A9nez-se-defiende-en-televisi%C3%B3n-y-se-121432596.html

 いやまあ、他人の絵に署名だけ後で書き入れたって可能性も0ではないですが…あまり良い絵だとも思えませんが…良く言えばエル・グレコ的に歪んでもいますが…でも悲しいお知らせです。おばあちゃん、それなりに絵の上手い人でした(爆)

 しかし、そうなると謎が残ります。なぜ、あの壁画はあんな風になってしまったのでしょうか。彼女の部屋には人物画が飾られていないように見えるので、もしかしたら、彼女は人物を描くのは苦手だったのでしょうか。のちに彼女自身「もしかしたら、修復に必要な特殊技能と知識を持っていなかったかも知れない-APOLLODORO」と認めているように、タブローに絵を描くことと、壁画を修復することは別物ですから、結果として思惑から外れて、あのような出来になってしまったのでしょうか。それともやはり故意に元絵を無視して描こうとしたのでしょうか。(追記:おばあちゃんは「その壁画の10年前のpictureを見ながら修復を行った-NYT」そうです…pictureってのが写真じゃなくて自分の絵だったりして(* ̄艸 ̄))

 BBCは「おばあちゃんは、彼女の力が及ばないことに気が付かされざるを得なかったようで、町の文化業務担当の議員に連絡を取った-BBC」と書いていますが、(連絡を取ったのが事実にしても)これはやや早計に過ぎる見方なのかも知れません。彼女の家族は「彼女はちょっと休憩を取っていただけで、修復が完了した時には壁画の顔はOKになる筈だった-INDEPENDENT」と述べているようです。それでもまだ謎は残ります。いくら修復途中だからと言って、あのような状態になるものでしょうか。

 おそらく、彼女は作られたヒロインでした。我々が望む純朴の姿を無垢の善意の証として彼女に重ね合わせ、現代におけるジャンヌ・ダルクとして祭り上げようとしたのです。しかし、彼女はそれを是としませんでした。自らは経験を積んだ「画家」であると主張し、仕事はまだ完成していなかったと主張するのです。物語は決して我々が望む方向には進まないでしょう。しかし、崇拝者たちは彼女の意図に関わらず、自らの幻想を追い求め続けるのかも知れません。

2012/9/1-flowinvain記