支配者なき世界へのオマージュ 2 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


前回のあらすじ

アニメ制作者としては優れている監督さんでも、

原作者として社会像や思想を描かせるとグダグダになるのは何故か?





『支配者なき世界へのオマージュ 2』


ひとつには「専門家病」があげられるでしょう。


こと特定の専門領域においては優れた手腕を発揮したとしても、

そのことは、その人が万能であることを示すものではありません。


つまり、アニメを作ることしか学んでこなかった人には、

社会像や思想を描くのは難しいのではないかということです。


もちろん(谷口監督は元々映画学校の出身ですし)

これは、何もアニメ制作者に限った話ではありません。


たとえば、特撮監督としては優秀でも、

監督としては使い物にならなかった樋口真嗣さんのように、

こと自分の分野(この場合は特撮)では優れていても、

それが、全領域に及ぶ活躍を保証するわけではないということです。


これは当然の話をしているまでに過ぎず、

たとえば、「名選手必ずしも名監督にあらず」

という言葉が、この事態を適切に言い当てています。


(もちろん、人には向き不向きというものがありますが)

これは、学ぶことによってある程度は解消される問題です。

たとえば、監督の場合、名監督の指導法に学ぶことも出来るでしょう。


同様に、ある作家が社会像や思想を描きたいと思った場合、

歴史学、哲学、文学、社会学などの素養はこれを助けるでしょう。


芸人さんがラジオで語っている程度の政治論が、

作品として登場してくるのならば、それは単に無知から来るものです。


それでは、たとえば文学や哲学の素養があるならば、

この障害はまったく存在しないのでしょうか。


じつのところ、そうでもないようです。

つづく