詩と幻想 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 言葉ってのはどうしようもなく不自由な道具だ。少なくとも僕にとっては。

 何かが作品になるってことは、それが昇華、あるいはメタモルフォーゼするってことだ。そうすることで、それは個別のものから普遍のものへと変わる。自分の体験を作品として昇華させる術を知っている人は幸いだ。その人はきっと、あらゆることを美しいものに出来る。「美とは触れえないものに触れること」。おそらく、文学的なセンスってのは、文章が上手いってだけじゃだめで、何かを文章として昇華/メタモルフォーゼさせる力が必要なんだ。

 ぼくの場合、主題はかなり明確になりつつある。それは、未来と過去を、そして詩と死とを結び付けるってこと。これは、手の届かないものを求めるという生来のロマン主義的な傾向と相まって、「触れえないもの(同士が)が触れる」というテーゼに辿りつく。そして、それを為すのは幻想と純粋性。言い換えれば、幻想に至るほどの純粋。言葉にするってこと自体のうちに、嘘の契機が含まれている。ゆえに、言葉の世界は嘘の世界だ。それを乗り越えられるのは詩と幻想のみなんだ。

 あらゆる体験を昇華させなければならないという焦燥にも似た気持ちがある。ところが、ぼくが何を書いても、それは昇華されるどころか、ドロドロの半液体状のどうしようもないものが出来上がるだけ。もちろん、ただ感情を書き連ねてるだけじゃ、そんなことは不可能なんだ。それは、単に文章力の問題じゃない。