『詩的写真』シリーズ第3回は、ナン・ゴールディンを取り上げます。
と言いつつ・・・予告でも言ったように、詩的ではない例としてです。
この写真に見える、被写体との距離感、その場の空気感、
別の職業写真家が、この場に居合わせても、こうは撮れないでしょう。
これは(あるいはフレーミングも含めて)彼女でしか撮れない写真です。
また、射し込む光と煙の加減、劇的な明暗のコントラストなども含め、
充分に「詩的」と呼ばれ得る特性を持っているように見えます。
しかし、それにもまして、この写真は余りに「ありのまま」なのです。
なんのてらいもない日常を、何のてらいもなく切り取っている。
「感じたこと」というよりは、その場の時間そのものを切り取っている。
比喩によって日常を異化させ、何か別のものとして見せることが、
詩が持っている役割のひとつであることを考え合わせるのならば、
この写真は、「詩」と呼ぶには、あまりにもストレート過ぎるのです。
むしろ、「私小説」と呼んだ方が相応しいのかも知れません。
たしかに、「詩」ではない・・・
しかし、恐ろしいほどに素晴らしい写真です。
一握りの天才だけが、このような仕事を成し遂げることが出来る。
そんな風に思います。
さて、次回は・・・
叙事詩(エピック)ということを考えるために、
ゲルハルト・リヒターを取り上げたいと思います<(__)>