卒論メモ10 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


前回の記事では、フィリップ・ケオー(1952-)の

「彫像は、未加工の大理石の塊の中にヴァーチャルに存在する」

という言葉をどう考えるべきか。という問題提起で終わりました。


この答えは、<バーチャル>の歴史的用法にあります。


中世のスコラ哲学者トマス・アクィナス(1225-1274)は、

<バーチャル>を<ポテンシャル>の同義語として用いていました。


ピエール・レヴィ(1956-)は次のように述べています。

スコラ哲学においては、ヴァーチャルとは可能的に存在するものであって、現実に存在するものではない。ヴァーチャルなものは、アクチュアル化されることを目指しているが、それは実効的な、あるいは形相的な具体化という状態に置かれることはない。
ピエール・レヴィ『ヴァーチャルとは何か?』

つまり、大理石の塊は彫像になる「可能性」を持っているため、

「彫像は、大理石の塊の中に<バーチャル>に存在する」と、

中世のスコラ哲学においては考えられていたのです。


また、スコラ哲学においては、

「木は種子の中に<バーチャル>に存在する」とも言われます。

これは、種子が木になる「可能性」を持っているためです。


これが、どのようにして、現在使われている用法、すなわち、

『the American Heritage Dictionary』に載っている<virtual>の意味、

①Existing or resulting in essence or effect though not in actual fact, form, or name
「形や名前は実際ではないが、本質的には(あるいは効果としては)存在すること(あるいは生じること)」

②Existing in the mind, especially as a product of the imagination.
心の中に(とりわけ想像力の産物として)存在すること。

に結び付くのでしょうか。

また、現代におけるバーチャルの用法から見て、

「彫像は、大理石の塊の中に<バーチャル>に存在する」

は果たして成り立つのでしょうか。


「可能的」なものと「バーチャル」なものは、イコールでしょうか、

そこに差があるとすれば、それは一体なんでしょうか。


・・・この続きはまた次回・・・<(__)>