ジョット作 スクロヴェーニ礼拝堂連作壁画 ≪エジプトへの逃避行≫と≪エルサレム入城≫に描かれたロ | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


イメージ 1
≪エジプトへの逃避行≫


イメージ 2
≪エルサレム入城≫


3章、≪エジプトへの逃避行≫に描かれたコントラスト
 さて、ロバの話に戻るならば、この2頭のロバのポーズには違いが2つだけある。まず1点目は、上げている足が≪エジプトへの逃避行≫が右足、≪エルサレム入城≫が左足であることだ。ただし、これは足が付いている位置が描き分けられているだけで、足自体の描き方が描き分けられているわけではない。

 もうひとつは、耳の角度である。≪エルサレムの入城≫ではロバの右耳は伏せられているのに対し、≪エジプトへの逃避行≫では周囲を警戒するかのように、両耳がピーンと立てられている。これは、ヘロデ王の嬰児虐殺から逃れる聖家族の不安感をあらわしているように思える。ヨセフが不安そうに周囲を警戒する表情がそれを雄弁に物語っている。この作品では、それぞれの登場人物の視線があちらこちらに散らばっており、画面を埋め尽くしている。ヨセフの視線は左上、天使とキリストの視線は左やや下、黒衣の人物の視線は右上、赤い衣の人物の視線は左、緑の衣の人物と黄色の衣の人物の視線は右、といった具合である。こうして散りばめられた視線の中を、マリアとロバの視線は右やや上に向きながら明確な意志を持って右方向へと進んでいく。これは拡散と収束のコントラストである。

 もうひとつのコントラストが≪エジプトへの逃避行≫には存在している。それは不安感と安心感である。ヨセフの表情やロバの耳に代表されるような警戒感は不安な印象を鑑賞者に与える。一方、聖母の衣と山肌の衣装の色合いの一体感から、聖母子が、あたかも背後の山に包まれているかのような印象を与えているということを先ほど指摘した。また聖母子がしっかりと結び付けられており、聖母の両手はしっかりとキリストを抱きしめていることも指摘した。また、聖家族を導く天使は右手で行く先を指し示しながらも、その目で聖母子をしっかりと捉えている。これらは鑑賞者に安心感を与える。不安感と安心感、これが≪エジプトへの逃避行≫に存在する2つ目のコントラストである。

 さらに、この作品には不安定感と安定感のコントラストも存在している。これはたったいま述べた心理描写のことではない。先ほどロバと登場人物たちの足が動作途中の不安定な感じを演出しており、その不安定感が、この作品に動きを与えていることを指摘した。それと同時に、足は元来、地面との結びつきを連想させるものだ。それは鑑賞者に安定感の印象を与える。≪エジプトへの逃避行≫においては、マリアと赤い衣の人物を除けば、全ての人物の足が描かれている。さらに言えば、その中でもキリストと画面左端の緑の衣の人物以外は両足が描かれている。この内、かかとを上げている方の足は不安定感を演出しているが、もう片方の足はしっかりと地面に着けられており、安定感を演出している。ロバも四つ足すべてが描かれており、上げている右前脚を除いては、しっかりと地面に着けられている。

 比較のために≪エルサレム入城≫を見てみると、ロバと棕櫚の木に登る子供以外の足は描かれていない。そして両足が描かれている人物は一人もいない。さらにロバも前脚の二本だけが描かれている。さきほど、≪エルサレム入城≫においてはキリストとロバがあたかも上昇して行ってしまうかのような印象を与えると述べた。

 ≪エジプトへの逃避行≫においては、そのような上昇の印象は与えられない。黒衣の人物が手綱をしっかりと下に引っ張っており、ロバと聖母子をしっかりと地面に着けていることも先ほど指摘した通りだ。これも黒衣の人物がしっかりと地面に足を着けているからこそ説得力が生まれるのだ。描かれた足から同時に生み出される不安定感と安定感。それが≪エジプトへの逃避行≫に存在する3つめのコントラストである。

終章
 拡散と収束、不安感と安心感、不安定感と安定感。これらのコントラストが≪エジプトへの逃避行≫に緊張感を生んでいる。この緊張感こそが、この作品を支配する最も重要な要素だと筆者には思える。


参考文献
『世界の巨匠 ジョットー』1980、評論社
『カンヴァス世界の大画家1 ジョット』1985、中央公論社