最近、図鑑を収集し始めています。
野草図鑑、樹木図鑑、色図鑑、元素図鑑・・・
以前から、ぼくは「花の名を知らない」だの
「色の名を知らない」だのと言ってきました。
問題意識は常に「其処」にあったのに、
それを解消する努力をしていなかった。
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』や宮沢賢治さんの詩集、
それらを読んでいて、そのことに気付いたのです。
『百年の孤独』には(年がら年中)図鑑を読んでいる少年が登場しますし、
宮沢賢治さんの詩には、ぼくが知らない色々な「名」が出てきます。
そして、ぼくは思い立ったのでした←すぐ影響される(* ̄艸 ̄)
名付けること・・・
図鑑には、様々な名前が載っています。
かつて、人々が名付けた名前。
「名付けるという行為それ自体を、ぼくは『詩』と呼ぶ」
というのは何処かで書いた気がします。※(twitterだっけか・・・)
そうやって、言語体系の中に取り込んでいく・・・
ぼくは今、記号論に取り組もうとしているのですが、
デジタル化という事象と、「詩」とが結びつく予感があります。
たとえば色・・・
RGB体系に色を取り込むと、
ある色にR0G90B170・・・というひとつの名が与えられる。
人々は、それを「フェルメール・ブルー」と呼び慣わしてきた。
しかし、命名のルールがあらかじめ体系化されていれば、
かつて世界に存在しなかった(かも知れない)色にも、
名付けることが出来る(というより自動的に名が与えられる)
R0G90B171・・・etc.
こうして、それまでに無かった色が生み出される。
これまでとは逆に、名から色が生み出される事態・・・
これはボードリヤールのシミュラークル論にも繋がっていくだろう・・・
むしろ、「デジタル化=世界を体系化すること」って言った方が良いのかな・・・
記述し尽くすことから可能性を汲み尽くすことへ・・・
正直、今はまだ考えがまとまっていません。
なんだか、あっちへふらふら、こっちへふらふら。
小説を読んだり、サッカーの試合を観たり、ゲームをしたり・・・
一見、(僕の卒論には)何の役にも立たなそうですが、
今はまだ、それで良いんだと思っています。
そうやって、自分に色んな刺激を与えてゴチャゴチャにして、
それが今は野放図状態だとしても、いつかそれが纏まる時がある筈。
いや、別に纏まんなくても良いんです。
全てが何かの役に立つ必要なんてない。
だけど、回りまわって何かが結びつくこともある。
今はまだ、何も考えなくて良い。
ぼくの脳は自分が何をするべきか分かっている筈だから・・・
※何をすれば良いか分かってなかったりして(* ̄艸 ̄)
熊木杏里 - 君の名前
KING RECORDS(YouTube)
注:埋め込み禁止になってました<(__)>