“Racism in football”邦訳 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


2010年5月15日、Jリーグの試合において、数人の浦和レッズサポーターが人種差別的な言葉をベガルタ仙台の在日朝鮮人選手に向かって用いました。Jリーグ公式ホームページによると、浦和レッズは500万円の罰金を科せられました。そして、試合の開催者であったベガルタ仙台には200万円の罰金が科せられました。このような根深い問題に対して、これは軽過ぎる処罰だったと、ぼくは思います。

日本に永住する朝鮮系の人々、すなわち在日朝鮮/韓国人は約90万人です。彼らの祖先は朝鮮半島出身ですが、現在では日本で生を受けた人がそのほとんどを占めます。大日本帝国の植民地時代、多くの朝鮮人が労働のために日本に渡航(※内訳はこちらを参照して下さい)しました。大日本帝国が第二次世界大戦に敗北すると、多くの在日朝鮮/韓国人は彼らの故郷に帰りました。しかし、彼らの中には日本に残ることを選択する者もいましたし、また、戦後になって日本にやってきた朝鮮/韓国人もいました。このような複雑な背景は、問題をより難しいものにしています。

最近、日本の経済力は(相対的に)下降しており、多くの日本人は経済力に依存していたアイデンティティを喪失しました。一部の日本人は彼らの新しいアイデンティティをナショナリズムに求めているようです。そのような屈折したナショナリズムは隣国(特に中国や韓国などの新しく勃興してきた経済大国)を敵だと見なします。ぼくは、これが浦和レッズのサポーターたちがとった態度の主な背景だと見なしています。

時として、サッカーはナショナリズムと結び付けられるように思います。国際試合の冒頭では国歌が斉唱されます。そして、サポーターたちは国旗を振ります。ぼくは、これには良い面と悪い面と両方あると思います。良い面は、サポーターたちが一体感を得られることです。悪い面は、ナショナリズムは時として敵を作ることです。

ある人々は、彼らの祖先が生まれた国に優先順位を置きます。2010FIFA南アフリカワールドカップには北朝鮮が出場しました。彼らの大会初戦、ブラジル戦のオープニング・セレモニーにおいて北朝鮮国歌が流れた時、在日朝鮮人のチョン・テセ選手は涙を流しました。彼らの置かれた状況を考慮するのならば、ぼくは、彼の感情を理解できますし、たとえ、彼らの祖国が民主的な政府を持っていないのだとしても、そのような感情を尊重したいと思います。そして、ぼくはきっと、この感動的な場面を忘れることは出来ないでしょう。それは、それほど美しい瞬間だったのです。

一方、彼ら自身が生まれた国に優先順位を置く人たちもいます。在日韓国人だったイ・チュンソンは、日本人になることを選びました。したがって、彼の現在の名は李忠成(リ・タダナリ)です。そして、彼は2008年の北京五輪に日本代表選手として出場しました。ぼくは、チョン・テセと李忠成、かれら2人のそれぞれの決定を尊重します。

他の国々も人種差別問題を抱えています。ぼくは、数年前のスペインの光景を思い出します。サッカー界のもっとも優れた選手の1人であるカメルーン人選手サミュエル・エトーが、試合途中に突然プレーするのを止めたのです。彼は、相手チームのサポーターによる人種差別的なチャントを聞いたのでした。悲しみのため、彼はプレーを続けることが出来ませんでした。最終的にはチームメイトや監督の説得により、彼はピッチに戻りました。我々の時代には、多くの人種が同じ国に住んでいます。それにも関わらず、このような心を痛める場面が今日でも起こります。悲しいことに、それがサッカーの1つの側面でもあります。

イングランドサッカー界において、ピッチ上では黒人選手は白人選手と同じように活躍しています。しかしながら、ピッチの外ではそうでもないようです。サッカーは白人の労働者階級のスポーツとしてイングランドで誕生しました。したがって、現在でもイングランドの90%以上のサッカー監督は白人の労働者階級出身者によって固められています。元イングランド代表ストライカーのアフリカ系イギリス人であるイアン・ライトは、黒人がイングランド代表の監督になることなど想像も出来ないと言います。ぼくは、そこには明らかに階級社会が見られると思います。

サッカーは世界でもっとも盛んに行われているスポーツです。あらゆる種類の人々が、同じルールに従ってプレーします。ワールドカップにおいて、我々は多種多様な文化を目にすることが出来ます。2010年、ワールドカップは南アフリカで開催されました。多くの人々が南アフリカの楽器「ブブゼラ」をスタジアムで吹きました。あの騒々しい音!しかし、ぼくは人々がブブゼラを楽しげに吹くのを見るのは好きです。サッカーを通じて、我々は他の文化を理解することが出来ます。

2010南アフリカワールドカップにおいて、FIFAは“Say No to Racism”キャンペーンを行いました。そのワールドカップで、我々は多くの劇的な場面を目の当たりにしました。アサモア・ギャンがPKを失敗して涙を流した時、人々は(相手チームも含め)彼に同情しました。マイコンのシュートが信じられないほど曲がった時、人々は驚きました。ぼくは、これらの感情は色を持たないと思います。

ピッチの上では、サッカーは特定のイデオロギーを持たないように見えます。たとえ、ある人が貧しい生まれだったとしても、その人が良い選手であるならば、サッカーは彼を受け入れるでしょう。たとえば、カルロス・テヴェスはブエノスアイレスの貧民街で生まれました。たとえ、ある人が生まれつき弱い体を持っていたとしても、その人が良い選手であるならば、サッカーは彼を受け入れるでしょう。たとえば、リオネル・メッシは、かつて成長ホルモン欠乏症でした。

ぼくは、サッカーを愛しています、だからこそ、サッカーを愛する全ての人々に敬意を持ちたいのです。