唐突ですが、ボクの記憶っていい加減なんです。
それは先週木曜日のこと。
その週の発表テーマは哲学者ダントー。
ルネサンス期から19世紀末までの美術は「再現」を目指していた、
それに対し20世紀の美術は「表現」を目指していたという話。
発表者の方が「再現」の代表例として挙げられたのが、
フェルメールの傑作≪真珠の耳飾りの少女≫
そこで、ぼくが引っ掛かってしまった。
あれって、たしか・・・
発表終了後、すかさず手を挙げます。
「本論にはあまり関わらないかも知れませんが、
たしか、≪真珠の耳飾りの少女≫って、
モデルがいなかったんじゃないでしょうか。
まあ、理想の人物像の『再現』って考えれば、
(あたかも、そこにそういう人物がいるように見えるって点で)
『再現』ということには変わらないかも知れませんが」
そんなようなこと。
ぼくも反論というつもりではなかったので、
そこは大した議論にもならずに授業は進みました。
ところが、あとから気になってしまった。
「あれって(僕が言ったこと)、ホントに正しいのか?」
で、調べてみたのです。
結果↓

結果↓
(トローニーとは)不特定の人物の半身あるいは頭部像と定義されている。
~中略~特定の人物を描いた肖像画ではない
~中略~それではモデルはいなかったかというと、実はそうではない。
~中略~つまり、トローニーとは想像で描かれたのではなく、
モデルは必要だった。しかし、肖像画のようにモデルを描写することが
目的の絵ではなかったし、モデルに重要性はなかった。
~中略~≪真珠の耳飾りの少女≫はトローニーだった
朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』集英社、2006、pp.126-130
ね・・・
今週は僕の発表なんで、その冒頭に訂正しようかとも思うんですが、
発表者の方には既に謝って
「まあ、別に(訂正しなくても)良いんじゃない」
と言ってもらったのです。
う~ん・・・どうだろう。
やっぱり、間違った情報を言ったままっていうのは・・・
かと言って、発表者の方が良いって言って下さったのに、
訂正しようとしたら、ぼくの独りよがりになるかな・・・←ただの優柔不断(笑)
と、言うわけで、ぼくの記憶がいい加減だって話でした<(__)>
授業の時にはテキトーなことを言わないように気を付けてた積りなんですけどね・・・
※え?タイトルがどっかで見たような感じ?(*´艸`)
なんせ、ぼくの記憶がいい加減だから、
昨日どんな記事を読んだかも忘れちゃったってオチ(笑)