さよなら、美術史 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
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フェルメール
≪絵画芸術の寓意≫
美術史美術館

 発表となると、どうして僕は、あんなにムキになるんだろう。この身を削るようにしてレポートを作る。痺れた頭で完成させる。詩的幻想と論理の限界。疲れた気分の時こそ、本当の自分が現れる気がする。

 美術史のレポートでは、どうしても論理的でない部分を組み込みたくなってしまう。それはきっと、作品それ自体が「其処」にあるから、作品それ自体(美)について語り得た気がしないからなんだろうね。それは(僕が)論理を透徹できていないからなのか、それとも、そもそも論理だけでは語り得ないのか・・・もっと論理の透き通ったものを、もっと心に訴えかけるものを・・・思うに、美それ自体について語れた学者もいないわけじゃない。アンリ・フォションに和辻哲郎。いつだって達成感なんてない。
 
 僕は、かつて好きだった人を世界で一番美しい人だと呼び慣らわしていた。あれはきっと、ふたりでいれば完璧なんだという意味だったんだろうね。お互いに欠けたものを補って生きていけるような気がしていた。そばにいてくれれば、何も怖いことなんてなかった。そういうことだったんだろう。結局、僕は自分が「こう感じた」ことを通して、美について語りたいんだと思う。自分が「こう感じた」ことを分析することこそ、美学の役目なんだ。

 実のところ、次の美術史のレポートをどうするか、未だに少し迷っている。前と同じテーマ(エルスハイマー)で非常に細かいところを綿密に「検証する」か、それとも違うテーマ(イコンの機能について「考える」)にするか・・・前者は美術史的なアプローチになるだろうし、後者は美学的なアプローチになるだろう。元来、僕がやりたいことは後者だった。いずれにせよ、次のレポートが、(僕の)美術史の最後のレポートだ。だからこそ、迷っている。

もうすぐ、お別れの時間。今日もあの子のいない家へ帰る。時は流れる。