
僕の故郷では、
(特に祖父の家の周りには)
街灯なんてなかった気がする。
高台にある祖父の家の庭からは、
(背後にそびえる富士山を除けば)
空を遮るものなんて何もなかった。
夜には満天の星空が広がっていた。
小学生の頃、ある年の誕生日。
僕は屈折式の黒い天体望遠鏡を買ってもらった。
小学生が買ってもらうような望遠鏡だから、
今から考えても、性能的には大した物じゃなかった。
ほんとは反射式の望遠鏡が欲しかった。←ワガママ(笑)
その頃はすでに神奈川に引っ越していて、
家の庭で星座表を片手に天体観測をしていたけれど、
じっさいのところ、(明る過ぎて)大した成果はなかった。
夏休みに祖父の家に天体望遠鏡を持って行った。
最初に望遠鏡を向けたのは金星だった気がする。
夜の訪れを告げる者、宵の明星ルシファー・・・
点にしか見えないものが形を成す驚き・・・
(ルシファーって明けの明星にしか使わないのかな?)
本とは逆向きの土星の輪・・・木星の縞模様・・・
その後、学校に行かない長い間。
暗闇の中で目の力を失っていった僕は、
やがて、星の光を見失ってしまう。
覆いかぶさる夜空の下で、
ラジオを聴いていた。
あの頃。
宇宙の基本原理に興味があった僕は、
『アシモフの科学エッセイ・シリーズ』やら、
『ホーキング、宇宙を語る』やら、
その手の本をやたら読んでいた。
思ったより長い話になっちゃったな←リズムを壊す人(笑)
ここから何の話に繋ぎたいかと言えば・・・
そもそも、哲学も宇宙の原理を解き明かすために始まった。
今、僕が考えていることも、
あの頃の僕が考えていたことと繋がっている気がする。
僕が「真理は指し示せない」って言うのも、
量子力学的な考えを受け継いだものだし、
僕が最も影響を受けた哲学者は、
(哲学者じゃないけど哲学の本を書いた)
物理学者のシュレーディンガーだったりする。
ホーキング博士は現代の哲学者が言語の中に
閉じこもってしまっていると嘆いていたけれど、
あらゆる分野を縦横に駆け巡るのは僕の特性だ。
でも、(いかなる意味においても)僕はスペシャリストじゃない。
言語学、歴史、社会学、美術史、芸術学、写真、物理学、天文学・・・
僕に出来るのは、
あっちとこっちを結んで、
新たな地平を切り開くことくらい。
そこから先、僕に出来ることは何もない。
僕は、
どこまで行けるだろう。
どこまで届くだろう。
この目には見えない星々の下で。