第二章
イタリア・ルネサンス花盛りし頃、彼の生きたフランドル地方の北ブラバンドはホイジンガが描き出した『中世の秋』そのものの世界であった。(注9)
イタリア・ルネサンス花盛りし頃、彼の生きたフランドル地方の北ブラバンドはホイジンガが描き出した『中世の秋』そのものの世界であった。(注9)
人々は、光と闇、静けさと騒がしさの極端な対照の中に生き、不安定な気分は激情の奔流となって時代を駆け巡った。世は干し草の山、だれでもできるだけつかみとる、というのは、フランドルの諺だが、貪欲さが最も罪とされた時代にあって、『痴愚神礼賛』を記して教会、そして人間社会の愚かさ、貪欲さを嘲笑したエラスムス(注10) ほどには、ボスはシニカルにはなれなかった。嘲笑は憤りより、一層深刻であり、そこにはある種の諦念が感じられる。しかし、彼の絵からは、憤りも、真の意味での嘲笑も見出せない。澁澤氏が感じたように彼の絵から愚かさへの、そして愚かさに溺れる人々への同情、あるいは共感のようなものが垣間見られるのならば、彼は貪欲さを、そして愚かさを嘲笑はしきれなかったのであろう。彼は愚かさと貪欲さを自らの内にあるものと認めた上で、その部分から自らを切り離していようとしているようだ。彼の絵に表れるもの、それは厭世的気分でも楽観的な希望でもなく、彼にとっては、ただそこにあるものであった。(注11)
《放蕩息子》と祭壇画 《干し草の車》の外翼パネル《人生行路》 この2つの絵に登場する人物には数多くの共通点が見られる、あるいは同一人物であると見ることも可能であろう。この人物が、その生涯において肖像画を一枚も描かなかったボスの自画像であると主張する人もいるが、それは定かではない。しかし画家が、ある共感を込めて、この人物を描いたであろうことは、想像に難くない。2つの絵の背景は異なるが、2人とも罪と誘惑の最中を通りながら、自らは救済する力を持たず、自らが誘惑に呑み込まれることもないということでは一致している。(注12) ここにおいて、我々は、1つの座標軸を得たようだ。つまり、絵に書かれているものが何であろうとも、そこには、それとは無関係な精神が存在し得るということである。
彼が好んで描いた主題に、彼の父と同じ名を持つ聖人、アントニウス、そして彼自身と同じ名を持つ聖人、ヒエロニムスがいる。中世の秋を駆け巡った激情の奔流の只中で、精神だけは、その渦から切り離していようとした彼の描く聖人は、ただひたすらに耐え忍ぶ聖人だ。その無表情さの裏には、あまりにも純粋で高潔な精神が潜んでいるようだ。この世の罪悪を謳い上げる悪魔たちにさらわれ、誘惑され、あるいは虐げられる絵の中で、聖人たちはあまりにも無力である。しかしそれでも揺り動かされることの無かった精神は、筆者の心を打つ。これらの聖人たちの無表情さを眺めていると、彼が描いた悪魔的な図像は、悪魔を描くこと自体が目的なのではなく、悪魔に囲まれても揺らぐことがない精神を描くことが目的だったのではないか、そう思えてならない。中世の激しい情動の中で彼は生きた。そしてその激しい渦の中で、彼は高潔な精神の存在を人々に訴えかけた。魑魅魍魎の向こうへ目をやるならば、そこには秋を迎えた中世の、彼が愛した北ブラバントの田園風景が静かに広がっている。