智積院障壁画 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
京都に実習旅行に行った折のレポート(感想文)です。

まだ授業の評価は出ていないのですが、

東京で等伯展が開催中なので(こっそり)公開します。


 
長谷川久蔵作《桜図》ならびに長谷川等伯作《楓図》について

 概説:智積院に残されている長谷川等伯一派の金碧障壁画は、かつて祥雲禅寺の客殿を飾っていたものです。祥雲禅寺は、豊臣秀吉が3歳で亡くなった我が子捨松を弔うために1591年に建てられた寺で、智積院に残されている障壁画も、その時に描かれました。一連の障壁画は、1682年と1947年の2度の火災で大部分が焼失し、今日では火災から救出された一部が見られるのみです。

長谷川久蔵
《桜図》
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 感想:久蔵作とされている《桜図》は、収蔵庫の左奥手に飾られている。写実的でありながらも、隣の楓図に比べて未だ稚拙さの残る線。確かに老成な感じは受けないが、桜の幹のはっきりとした太い線などは力強さを感じさせ、才気溢れる久蔵の性格を窺わせる。色褪せた金地、剥げ落ちた桜花の白。絵の桜も散りぬるか。かつて在った筈の上部空間を眺めやる。目を閉じると、かつての雄々しい桜が連想できる気がした。春の盛りの桜。久蔵25歳の作。僅か3歳で亡くなった捨松を弔うために描いた彼もまた翌年には没した。再び目を開ける。目の前の桜は、心なしか淡く儚い気がした。蛍のような淡い光を連想させる桜の花。この世の何処にもない金地の空間。描かれた雲、池。ここは極楽浄土なのだろうか。もっと相応しい言葉がある気がする。人生の無常。そして儚さ。日本人が心の底から愛してきた儚さの美に対する感情が、この絵には込められている気がする。

 《桜図》の隣には、久蔵の父である等伯の作《楓図》が飾られている。流石に上手い。極めて洗練された筆致。デザイン的にも素晴らしい。装飾性と写実性が高い次元で融合されている。秋を迎えた楓は生命力に満ち溢れている。見比べてみると、隣の《桜図》が枯れているように見える程に瑞々しい生命力。生命への賛美が、この作品には込められている。一説によると、この図は愛する我が子久蔵の死後に描かれたそうだ。そう考えながら見ると、等伯がどのような気持ちで《楓図》を描いたかが分かる気がする。秀吉の寵愛を受けながらも僅か3歳にして亡くなった捨松。そして、短いながらも光り輝いていた我が子の人生。人生は儚い。それでも、生命は光り輝いている。そんな気がする。人生の秋を迎えつつあった等伯。極限まで精神性を追い求めた閑寂な《松林図》と、生命力に満ち溢れる《楓図》は対照的な作品のように見える。それでも、その根底には同じものが流れている気がする。

長谷川等伯
《楓図》
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