注:この記事は、かなり独断に充ちたものになっています。
「アベちゃんを人斬りと一緒にするな!」という方や
「沖田さんをサッカー選手なんかと一緒にするな!」という方は、
ご覧にならないことをオススメします。
僕の母親は阿部勇樹マニアだ。
ジェフ時代から毎年ユニフォームを買っているし、
阿部を応援するために、年間10試合以上は試合会場に駆けつける。
そんな母親に、僕が良く言うことがある。
「アイツは沖田だ。」
沖田とは、新撰組の沖田総司のことである。
阿部と沖田が似ていると思い始めたのは、些細な話からだった。
戦場では冷酷な天才剣士だった沖田だが、
私生活では冗談ばかり言っているような青年で、
子ども好きという側面があったらしい。
新撰組として京都に居た時も、
近所の子どもたちと鬼ごっこのようなことをして遊んでいたそうだ。
試合中では鬼気迫るような表情を見せる阿部も、子どもが大好きらしい。
選手が連れてきた子どもと遊んでいる姿を、練習場で良く見かけるそうだ。
そんな些細な共通点から始まった思いつきだが、
糸を手繰り寄せるように二人の共通点が見つかっていった。
紅顔の美少年といったイメージのある沖田だが、
色黒で猫背で、美少年と言えるような風貌ではなかったという説がある。
沖田に関しては写真が残っていないので確認のしようがないのだ。
阿部も(母親に言わせれば)「決してイケメンではない」そうだ。
誰が見てもイケメンだと思うような玉田圭司や内田篤人に比べれば、
たしかに、そういう風にも言えるかも知れない。
それでも、阿部には何か人を魅きつけてやまないところがある。
それに何より、阿部は「絵になる男」なのだ。
それは、沖田にも言えることなのかも知れない。
そんな冲田、剣に関してはやはり若いころから凄かったらしい。
20歳のころには既に天然理心流の塾頭だったようだ。
阿部も若いころから凄かった。
16歳の時には既にレギュラーとしてJ1に出場していた。
高精度な右足から繰り出される切れ味の鋭いFK、
黄金の右足を持った阿部はアベッカムという異名を持っていた。
しかし、黄金だと思われた右足は、実のところ繊細なガラスで出来ていた。
若いころの阿部は度重なる怪我に見舞われ、
今でも阿部の右足にはチタンが入っている。
京都に上洛した沖田。
尊攘派との闘争や隊士の粛清で人を斬りまくった沖田だが、
取り立てて強い政治信条があった訳ではないようだ。
というのも、分裂を繰り返す新撰組にあっても、
彼は意見らしい意見を述べたことがないようなのだ。
飄々とした青年の姿が思い浮かぶ。
そう言えば、阿部も飄々としている。
去年のレッズは監督派と反監督派に分かれてしまっていて、
反監督派だった闘莉王や三都主は名古屋に移籍してしまったが、
中心選手だった阿部は、どちらの派にもつかず離れずだった。
それで何も言われないのが阿部という選手の不思議なところなのだ。
そんな俗世間のことなどどこ吹く風で、
何か超然としているような感じすら覚えるのだ。
試衛館道場に入門した時からの沖田の師、近藤勇。
新撰組結成、仲間の粛清。敬愛する近藤の意志に、
ただただ愚直なまでに従っていった剣士沖田。
主将を任されていたジェフ時代から日本代表に至るまで、
一貫してイビツァ・オシムに寵愛されていた阿部。
阿部も敬愛するオシムの言うことなら何でもホイホイ聞いてしまう。
夢だった海外移籍を封印してレッズに移籍したのも、
オシムの「ヨーロッパに何しに行くんだ。スキーしに行くのか?」
(レギュラーの保証は無いという意味)という助言によるものだし、
伝家の宝刀であるFKの練習を止めてしまったのも、
「FKだけの選手になるな。」という助言によるものだった。
以後、阿部は守備のオールマイティとして変貌を遂げていく。
愚直とは言っても、決して頭の悪い選手ではないし、
オシムに寵愛されていたことからも分かるように、戦術眼は高い。
鳥羽・伏見の戦いで敗北した幕府方の新撰組は京都を落ち延び、
江戸に帰還したのち甲州鎮撫隊として甲州に転戦するも再び敗北。
捕らえられた近藤は板橋で首を斬られた。
肺結核を患っていた沖田は隊務から外れていて、
この時は千駄ヶ谷で療養をしていたらしい。
敬愛する近藤の死を最後まで知らなかった病床の沖田は、
来る日も来る日も
「先生はどうされたのでしょうね、お便りは来ませんか?」
と周りに尋ねながら、近藤の死の約2ヶ月後、
あとを追うように24歳(~27歳)の若さで病死した。
2007年のスイス戦で素晴らしい戦いを見せ、
将来に希望を持たせたオシムJAPANだったが、
その年も暮れようとするころ、悲劇は突如としてやってきた。
命こそ取り留めたものの、オシム監督が脳卒中で倒れたのだ。
代表の指揮がとれるような状態には回復できないという判断のもと、
オシムが更迭され、後任には岡田武史が選ばれた。
恩師が倒れたことを知ってしまった阿部勇樹・・・
オシムJAPANでは常に主軸としてプレーしていた阿部だが、
岡田JAPANでは(召集こそされているものの)控えに甘んじている。
今日2月14日は東アジア選手権の韓国戦が行われるが、
阿部が登場する可能性は低いと言って良いだろう。
就任当初の「オレ流でいく」発言にも見られたように、
選手に絶大な影響力を誇ったオシム監督と比較されることを
極端に嫌がった岡田監督の器を考えれば、
オシム・チルドレンの筆頭である阿部が、
岡田体制下で冷遇されているのは当然かも知れない。
敬愛していた恩師は去り、幸せだった時代は終わりを告げた。
それでも、阿部は出場すれば必ずや良いプレーを見せてくれる筈だ。
所属する浦和レッズでもフル回転で働き続け、
ボロボロになった体に鞭を打ちながら気迫のこもったプレーを披露している。
近藤が先に逝ったことを知らなかったから
沖田は幸せだったんだと言う人もいるだろう。
若くして死んだことが沖田の魅力だと言う人もいるだろう。
でも、もし沖田が長生きしていたらどんな風になったろう・・・
そのヒントを、阿部勇樹はほんの少しだけ与えてくれるような気がするのだ。
少年は成長して、やがて大人になる。
かつての天才少年は、いつしか鉄人と呼ばれるようになった。
それでも、やっぱりアベちゃんはアベちゃんだ。