注:以下の文章は、僕の考え(ひいてはRight)が絶対的に正しいと言いたい訳ではなく、あくまでも僕個人の主観的な立場から、現在の日本人(ひいては僕自身)の立ち位置を探ろうとした試みであることを踏まえた上でご覧下さい。
昨年の衆院選で、興味深い調査がありました。それは、比例区で民主党に投票した人と自民党に投票した人の世代別グラフです。30代~60代では民主党が多数派、一方で20代と70代では自民党が多数派なのです。これは何を示しているでしょうか。
暴論を承知で敢えて言います。全ての状況/個別的政策判断を無視して民主党をLeft、自民党をRightと置くならば、これは、世代別のLeftとRightの割り合いを示していると読むことができます。つまり、現在はLeftの世代が支配する時代です。
Leftの中には、「表象は人を欺くから注意して下さい。」と言った舌の根も乾かぬ内に、「これだけは覚えておいて下さい。年寄りは若者がキライです。」・・・って、「それこそ表象の刷り込みだろ!」と突っ込みたくなるような(自分の考えも持たずに人の考えをパッチワークしているだけの)人も居れば、しっかりと自分の論理体系を持っている人も居ます。しかし、それでも僕は違和感を感じるのです(例:司馬遼太郎は僕には単なる色眼鏡にしか思えない)それは、もはや彼らが反発しているものは存在しない(と僕が感じている)からという一点に尽きると言っても良いでしょう。
彼らが多感な時期を過ごしたのは高度成長期~バブル期(司馬遼太郎は戦前の拡大期)で、一直線のレールに乗って日本が動いていた時代です。彼らは、それに反発したのです。民主党政権が誕生したのは昨年のことですが、実際には90年代前半、バブルが崩壊すると同時に彼らが反発していたものも崩壊しているのです。僕(らの世代)にとっては、彼ら(Left)が何に反発しているのか理解できない。もはや時代を支配しているのはLeft(中道とはいえ)なのです。僕の目には彼らはドンキホーテのように映ります。彼らの求めているものは自由の筈なのに、ある局面での彼らの反応は非常に束縛されているように見える。
(司馬遼太郎のことに触れたので少し閑話休題・・・司馬遼太郎が反発していた大日本帝国は45年に崩壊しましたが、GHQに対する屈服、安保闘争の失敗・・・ご承知のようにLeftの時代は訪れませんでした。反発した対象は一度は消えて自分たちの時代になる筈であったのに、その対象は姿を変えて現われた。この鬱屈した感情=猜疑心が、日本のLeftの根っこにあるように思います。)
一方で、僕らの世代においては反発する対象自体が見出せません。一直線に引かれていたレールは円を描き、日本は何処へ向かっているのかも分かりません。このような時代には、アイデンティティを構築するように心が動くのではないでしょうか。今の若者にRightが多いのもこのような理由だと思えます。Leftの時代が長く続かない理由の1つには、反発した対象を失った途端に、彼らが反発を糧とするエネルギーを生産できなくなってしまうという理由があるように思います。これを世界的視野で考えると、アメリカという絶対的に反発可能な存在があるので、彼らの矛先はアメリカに向けられます。そして、その矛先はやがて中国に向かうことになるでしょう。しかし、世界全部がLeftになったのならば、彼らは何に反発するのでしょうか。水平化された世界に何が残るのでしょうか。僕にはそれが疑問なのです。
先述の「年寄りは若者がキライです」という発言は、反発というLeftの考え方を如実に表していると思います。付け加えるならば、意図的に反発(Left)の方向に向かわせようというタチの悪い言説でもあります。とはいえ、(僕は)この考え方自体を否定した訳ではなく、彼の言説が致命的な自己矛盾を犯しているにも関わらず、本人がそれに気付いていないことを糾弾したのです。(それ故に「人の考えをパッチワークしているだけ」と書きました。)
長くRightの支配する時代が続きました。サブカルチャーや(先端)芸術はアウトサイダーによって構成されていくのが常ですから、それらの分野において、Leftが多数派であったのは当然だとも思えます。彼らは反発のエネルギーを表現に変えたのです。一方で現在はLeftの世代が支配する時代です。サブカルチャーや(先端)芸術はアウトサイダーによって構成されていくのが常ですから、これからのサブカルチャーや(先端)芸術はRightが多数派になっていくと考えられます。しかし、前述のようにLeftの時代は長く続かないのが常ですから、Rightのサブカルチャーや(先端)芸術は相対的に常に少數派であり続けるでしょう。皮肉なことですが。
抑圧された左右のエネルギーが爆発して時代を変えていく。これは単なるエディプス・コンプレックスに近い図式でもあります。Rightのエネルギーが向かう方向は構築です。言い換えるならば拡大と言っても良いでしょう。秩序の構築、規範の構築。秩序や規範は例外を認めませんから、これは本質的に拡大する方向性を伴っています。つまり、同じ秩序や規範(価値観と言い換えても良いでしょう)を周りにも求めるのです。ゆえに、爆発したRightのエネルギーは外へと向かいます。それが危険を孕んでいるのは、(例を挙げるまでもなく)周知の通りだと思います。
しかし、同じことはLeftにも言えます。反発する糧を失ったLeftはエネルギーを生産しなくなると述べましたが、抑圧された時代に蓄積されたエネルギーは残っています。Rightのエネルギーが本質的に外への方向性を持っているために、それに反発することで蓄えたLeftのエネルギーは必然的に反対の方向へ向くことになります。(先ほど、世界的視野で考えると反発するLeftのエネルギーはアメリカに向かうと書きましたが、彼らの生活を左右する問題でない限りは、このエネルギーはさほど大きなものになるとは思えません。このようなエネルギーは生活に根付くことで蓄えられると思うからです。)実際、反発する対象を失ったLeftのエネルギーは内へと向かいます。「革命」の後にくるのは「粛清」だと相場は決まっていますが、現在の日本の状況もこの相場に反するものではありません。(首筋の辺りが寒くないですか?官僚の皆さん)
・・・ここまで書いてきたけど・・・これが合ってるかどうか分からん・・・全てを単純化しすぎているし、こりゃただの八つ当たり記事だな(苦笑)