『教室』 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
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『教室』
 
 木曜日pm2:20、図書館を出て五号館の教室へ向かう。授業時間中の講内は、人影も疎らで静かな時間が流れる。古びた五号館、薄暗い2階の廊下を真っ直ぐに進む。突き当たりの窓硝子から、僅かに光が零れて、色彩が息を芽吹く。突き当たりの少し手前の左側が、僕の教室。無機質な消火栓の隣にある扉が教室の後ろ側の扉。教室への扉。授業終了の鐘を待つまでもなく、既に前の授業は終わっている。確認の為に、扉に聞き耳を、次いで少し開けて覗いて見る。案の定、そこには誰もいない世界が広がっている。まだ授業が終わっていなかった日には、廊下の壁に寄りかかりながら本を読むフリをしていた。

 そっと扉を開けて中に入り、そっと扉を閉める。内開きの扉、全開で開けてしまうと机に当たってしまう。明らかに詰め過ぎの机、廊下に出る時には1人出て閉めて開けて、また1人出ての作業を繰り返さなくてはならない。そんな教室。廊下の反対側には全面に張られた硝子。僕は一直線にその光に向かって歩く。ただ1人。季節を映す窓、1番後ろの窓側が僕の特等席。目の前には木々の向こうに近代的な8号館の建物。右手には小田急線の線路、「電車が通ると声が聞こえない」と言って、先生は良く窓を閉めた。今、そっと窓を開ける。冬の風に舞った葉が、寒気と共に教室の中に迷い込む。夏には湿気で蒸し暑く、冬には暖房が効き過ぎて暑い。窓を開けると、電車の音で声が聞こえない。そんな教室。しばし窓の外を眺め、カメラ代わりのケータイで写真を撮って見る。涼しさと共に過ぎ行く季節が、無抵抗に過ぎ行く季節が、写真の中に少しでも留まっていますように、そう願いながら。コートを椅子にかけ、そっと引いて腰掛ける。筆記用具をバッグから取り出し、本を読み始める。そんなことをしている内に、扉が開く。

 きっと最初に入って来るのはショパンが好きなIさん。隣の列、後ろから2つ目の右側の席が定位置。小雨の日に傘も差さないで微笑みながら歩いていた姿が、すれ違った僕の心に眩しく刻まれている。優しさが滲み出ていて・・・あなたはきっと・・・次に入ってくるのは、多分Sさん。たった1人の芸術学科の仲間、たった2人の芸術学科。廊下側から2列目、後ろから4席目の左側の席。とてもとても優秀だった、あなたの文章が掲載される度、誇らしい気持ちになった。いつも哀しげな目をしていて、何故だろう、僕はとても気になった。そしていつしか、その瞳がとても美しいものだと思えるようになった。話したことは無くても、僕の自慢のクラスメート・・・あなたはきっと・・・次にはフットサル仲間の弓道部Kくんが入ってくる。同じ列、僕の1席前の右側、サッカー談議が始まる。しばらくすると文学青年のNくんが「隣良い?」と聞きながら僕の隣に座る。話題が切り替わる。そうしている間に、教室はいつのまにか賑やかになっている。

 廊下側の列には、中国語が一緒の関西人Mくん。足の速いピアニストIくん、温厚なアメフト部Kくん。ヤンキーなNくんと基礎ゼミが一緒の背が高いSくん。そして冬の選手権に出場した僕の憧れYくん。英文学科のHくんの隣にはMさんが座っている。未だにカップルなのかカップルではないのか、分からない。他の女の子と話しているのを見たことがない。とても大人びた女の子・・・あなたはきっと・・・そして1番後ろの席には後期から一緒のクラスになった、音楽好きなYさん。実は中国語の授業も一緒だと知った。英語の発音がキレイで雰囲気が独特、いかにも音楽家・・・あなたはきっと・・・

 風に散りゆく桜の薫が、未だ消えなかった春を越えて・・・廊下側の隣の列は後ろから5席目の左側に、僕が勝手にクラスの学級委員長だと思っているUさん。彼女も中国語が一緒。始めての授業の日、授業開始後に「すいません!電車の遅延で遅れました!」と教室に飛びこんできた姿が漫画の登場人物のようだった。一度も休んだところを見たことがない頑張り屋さん・・・あなたはきっと・・・Uさんの隣には、いつも決まって黒が似合うYさん。中国語の授業でも一緒の二人は仲良しコンビ。かぼそい声に、白い肌と黒い髪。理想と現実との間に居た。後ろ姿を初めて見たあの瞬間から、僕は既に憧れていた。心を焦がしてしまった。どうしてもどうしても届かなくて。とても透き通った人・・・あなたはきっと・・・Yさんの後ろ、芸術学科のSさんの隣にはMさん。いつも決まって、少し遅れて教室に入ってくるショートヘアーのキュートな女の子。真面目なのか不真面目なのか分からないけど、なんだかとても純粋な気がする、さびしがりやさん・・・あなたはきっと・・・

 眩しい陽射しの下、時が過ぎるのを待った夏を越えて・・・Mさんの後ろの席は前期に僕が座っていた席。後期になり僕は窓側に移ったけれど、その席は未だに空席のまま、机がMさんのバッグ置き場になっている。あの席に僕が座っていたころ、Mさんはバッグを膝に抱え、僕がプリントを渡すと、いつも微笑んでくれた。遠い記憶。誰も座らない席を眺めていると、僕には居場所があった、そんな気がして、ふと思う。今でも戻れるのかなと。

 柔らかい光の中で、世界が眩しく見えた秋を越えて・・・空っぽの席の後ろはお人形さんみたいなTさん。声がとてもカワイイ。引っ込み思案だけど、ひそかに英語が得意。もっと積極的に授業に参加しなさいと先生に叱られ、必死に喋ろうとしていた姿がけなげで、僕は涙が出そうだった・・・あなたはきっと・・・Tさんの隣は仲良しのボーイッシュなSさん。バイクが好きで、バイクの代わりの乗り物は、と聞かれてバスと答えた。バの付く乗り物が好きなんだねと訳の分からない連想をしてしまった僕は、思わず笑ってしまった。お人形さんみたいなTさんとボーイッシュなSさん、身長も同じ位で、なんだかとても微笑ましいコンビ。たまに見せる女の子らしい表情がとてもステキで・・・あなたはきっと・・・Sさんの後ろは2年生のIさん。3単位ある英語のクラスで一緒の授業が木曜日しかないあなたは僕にとって未知の人。おしとやかな人かと思っていた。一度回ってきたプリントが意外とサバサバしていて驚いた・・・あなたはきっと・・・Iさんの隣はメガネが似合うYさん。華やかではないけれど、とても別嬪さん。どことなく挙動不審で、本人は自分が美しいことを自覚しているのかな?大人っぽさと子供っぽさが同居する人・・・あなたはきっと・・・

 そして、お別れの冬に、どうしてもどうしてもお別れを言えない冬に・・・隣の列、教室の真ん中の列は誰も座らない列。以前は1番後ろの席に、今は僕の列に移って来たKさんとHさんが座っていた。ほのぼのとした雰囲気で何故か真ん中の席を空にしてしまったKさん、先生は驚いていた。教室の7不思議の1つ・・・あなたはきっと・・・Kさんと一緒に席を移ったHさん。実にさばけたあなたを見ていると、小さいことで悩む自分をばかばかしく感じた。いつかのティーパーティで、僕の作ったポテチを美味しかったと言ってくれた・・・あなたはきっと・・・その前には北国育ちのKさんが座っていた。いつの頃からか、あなたは教室に来なくなった。あの春の日、あなたは颯爽としていた、誰よりも眩しかった。いつしか花がしおれるように、眩しかった光は徐々に失われていった。皆とおしゃべりしていても、笑っていても、どこか寂しげだった。あの遥かな夏の日、1人で階段を上がってきたあなたと目が合った。話しかけられなかった僕は、言えなかった言葉を詩に書いた。あの時、声をかけられていたのなら友達になれたのかな。そしたら、あなたは教室にまだ居たのかな。寂しそうに階段を上がっていく後ろ姿を、深く心に刻まれたその姿を、頭の中で何度も繰り返した・・・あなたはきっと・・・

 いつか教室は取り壊される。そこには最初から、何も無かったかのように、全ては夢だったかのように・・・人が未来と呼ぶもの。僕にとって、それは、ただ過ぎ去るもの。誰も座らない列の隣、後ろから4席目の左側にはIさん。時々スーツでやってくる。なんだか良く分からない紙の裏にプリントしてくる。つかみどころのない人・・・あなたはきっと・・・Iさんの後ろにはOさん。教室の中でダッシュして、伸ばしていた僕の足に引っ掛かってしまった。僕が謝るより先に謝っていた。いつもキョロキョロとよそ見をしている。おっちょこちょいな人・・・あなたはきっと・・・Oさんの隣は文化史学科のSさん。フォークロアが好きで、夢を聞かれると、いつも決まってキュレーターと答える真っ直ぐな人。あまりにも真っ直ぐで、僕にとっては涙が出そうになるくらい眩しすぎる人。前だけを見る瞳が大好きだった。芸術学科の僕が絵を描かないと知って驚いていた。あなたに伝えたい景色があった。あなたと話したいことがあった・・・あなたはきっと・・・

 声に溢れていた教室、未来が溢れていた教室。Sさんの左後ろ、ショパン好きなIさんの隣にはクラスの華Oさん。どこにいても直ぐそれと分かる華やかな人。朗読の時に超高速で読むあなたが好きだった。いつの頃からか、僕はあなたのとても純粋な部分に気がついた。華やかさの影で、いつだってあなたはピュアだった。人波の中で、あなたを見つけると心が安らいだ。最後の時間、誰よりもあなたの存在が心に響いた・・・あなたはきっと・・・Oさんの後ろは、眠り姫のOさん。後期になって緊張が解れたあなたは授業中に良く眠っていた。僕はいつもそれを眺めては、教室の中で安心しきっているような寝姿に、とても微笑ましいような、幸せな感覚を覚えた。清水寺でお祈りしたいことを聞かれて、迷わずbeautyと答えた別嬪さん。それ以上キレイになってどうするの・・・あなたはきっと・・・Oさんの隣は切れ味鋭いHさん。あなたの訳は美しかった。どうしても1点減点しなければならなかったけれど、その誤訳を超えて完璧だった。目にも言葉にも鋭い光を宿している人。僕なんかより余程芸術的な人・・・あなたはきっと・・・

 凍えるような寒さに震え立ち尽くしていた冬。日はいつか沈む。空の彼方、遥か銀河の向こう、永遠の終わる場所へ。僕と僕の世界は溶けていく。全ての記憶を消して、感情の痕跡だけが、残された世界に刻まれる。どうしてもどうしても届かなくて。凍った心は灰にまみれて砂になる。世界のどこへ流れつこうと。

 あの遥かな秋の日、4人の後ろ姿を眺めた。帰り道。美しい光景だった。西日の中、4つ並んだ影に窓に反射した光が溶け込んでいた。あの瞬間は永遠に近かった。限りなく儚かった。どうしてもどうしても伝えたかった。僕には、その術は無かった。1番隅から見ていた世界、僕が愛した世界、僕の中の世界。僕が何故席を移ったか、それは誰も知らない。僕が愛した教室。僕が愛した世界。僕の中にあった世界。その時、確かに、そこに。どうしてもどうしても届かなくて。僕は時計の針に縛り付けられて、もがけばもがくほど鎖は体に食い込んだ。目を瞑ることもできなくて。

 あの遥かな春の日、水がキラキラと煌めいていた世界。あの瞬間から、別れの予感に慄いていた。背景に消えるノイズのように、風に掻き消される波音のように、大きな流れの中で、成す術もなく消えてしまうようだった。時は遷ろい易く、儚い世界の中で夢と幻を見た。僕はその夢幻に憧れて、心を焦がしてしまった。どうしても、どうしても届かなくて。別れの言葉は砂のように零れた。